麦屋(2)
麦屋を踊る者は道楽者と呼ばれていた。。。
保存会が「道楽者」と呼ばれた時代、普段から麦屋を踊ることは、
人目を気にしなければいけなかったそうだ。
家族が食事を終え、夜仕事を始めるころ、何食わぬ顔で家を抜け出し、
蔵の中で蝋燭の光を頼りに、壁に自分の影を映して踊りの練習したという。
また、クキオケ(大きな漬物桶)の中に入り、隠れるようにして三味線の練習をした者もいたそうだ。
出演をするとなればさらに大変で、仕事をせずに麦屋の出演で
どこそこへ行くなどとはとても家族には言えない。
そこで、明るいうちに荷物をどこか家の近くに隠しておき、
夜、家族が寝静まってから気づかれないように抜け出し、
明け方峠で落ち合うという風にしていたそうだ。
朝起きてみると、○○がいない!どこそこの家の△△もいない!□□も!
麦屋だ!!!という風に発覚するといった具合だ。
帰ってきたときには、さぞ怒られたに違いない。
そんな風にして道楽者と言われながらも熱心に麦屋を踊った甲斐あってか、
昭和27年、国の無形文化財に選定される。
この頃から、周りの見方が変わってきたそうだ。
現在でも行われている小・中・高合同運動会で、
全プログラムの最後に全員で麦屋節を踊るというのも、その一つだ。
また、各地での出演も続き、昭和33年、富山国体での出演、
昭和39年東京五輪での芸能展示、昭和45年大阪万博など、大きなイベントでの出演も数多い。
またまたつづく。