合掌造りのル−ツを求めて。その4
大窪大工の古い記録・・・わが皆葎集落の住吉社奥殿と木簡
口留番所(くちどめばんしょ)や流刑小屋の造営に大窪大工が遣わされてきたのはほぼまちがいないところですが、皆葎の住吉社に最も古い記録が残ります。
奥殿の中に一回り小さな社殿が安置されています。享保年間の作とみられ、「能登大久保村
清衛門」の名前が見えます。二人の大工が七十七日間かけていますが、逗留に各家々が1〜3日ずつ割り当てられた記録が木の板にしるされています。村人の心のよりどころとしてのお宮さんを腕のよい宮大工に造って貰うことは大きなステ−タスであったと思われます。
また泊まった家々ではいろんな話が大工の口から聞くことが出来て、それが村人の大きな楽しみ、喜びであったであろうと想像が広がります。それぞれの家ではそれぞれ精一杯のご馳走で歓待したに違いありません。

墨書を読まれる柿崎先生。
村人との関わりの始まりがここにあります。
今ある家々の十数代前になるかと考えられます。