深夜のグダグダJ…キラキラの目、共感する力(秋葉原の事件に思う)
「子どもたちの目の輝きを…」という言葉をよく聞くけれど、冒険キッズで出会う子どもたちは、ほんとにびっくりするくらい目がキラキラ輝いています。見つめられると、後頭部まで射抜かれてしまう気がするほどです。
「あのね、お兄ちゃんね、お魚捕まえたよ。こんなの(指で大きさを示す)。なんかブルドックみたいな顔したサカナ…。シーちゃん(自分のこと)も、アミで捕まえたけどピュッて逃げられた…」
1年生の女の子が、川遊びのときの新鮮な経験を話してくれたときの目は、ほんとうにキラキラしていたし、次から次へと話したいことが飛び出してきて、自分自身でも止められないほど饒舌になっていました。
考えてみれば、子どもたちはいつも感情を共有したがっています。特に低学年の子どもたちの多くは、話を聞いてもらいたいという気持ちを、いつもいっぱい抱えています。しかし、周りの大人たちは「どんな気持ちだったか」ということより「その結果どうだったか」を評価したくなってしまいます。
「それで、結局お魚は捕まえられなかったんだよね。」で会話が終わってしまったら、身も蓋もありません。コミュニケーションは情報を伝達するだけでなく、「共感」を醸成するツールでもあるべきです。現代の大人たちは、「共感」することを忘れてしまっているのではないでしょうか。
ゴリラ学で話題を集めている京都大学の山極寿一先生が、「霊長類の中でも、共感を求めるのは人間の大きな特徴のひとつだ」という内容のことをテレビで話しておられました。ゴリラも喜んだり怒ったりするけれど、その気持ちをまわりに伝えて共感を得ようとはしないんだそうです。
共感は、人間社会を構築していく上で、とても大切な役割を果たしてきたのだそうです。それは、「他人の気持ちになって自分の感情をコントロールする」ということ。「他人の立場に立って、自分の行動をセーブする」ということ。
子どもたちの目の輝き、自分の感動を伝えようとするエネルギーは、人間としてとても大切な「共感」を求めるための人間らしい行動だといえます。
考えてみれば、人間だけがまったくのデクノボウとして生まれてきます。他の哺乳類、たとえば馬や鹿が、生まれてすぐ立ち上がり大人たちとほぼ同じことができるのに、人間だけがオギャーオギャーと救援信号を出すだけで、まったく何もできせん。
アドルフ・ポルトマンという動物学者は、これを「社会的早産」と呼びました。
人間は、お腹の中だけで人間になれない。他の動物より少し早く生まれて、生まれた土地の言葉や生まれた時代の暮らしを吸収しなければ人間になれないのだと。だから、1年ほど早く生まれてくるのだと。
人間は生まれながらにして時代の遺産(負の遺産までも)を受け継ぎながら、それでもなお同時代の仲間たちと「共感」を分かち合って生きていくようにできているのだといえます。
まったく他人と共感するすべを知らず、心の均衡の崩れを「無差別殺人」という方法でしか処理できなかった秋葉原の事件は、人間のこの根本的な力、「共感する力」が崩壊しつつあることを示しています。
だからこそ、そんな時代だからこそ、子どもたちのキラキラした目の輝きを、本当に大切にしたいと強く思います。