北海道鉄道のルーツ〜幌内鉄道〜
幌内鉄道は日本で3番目に開通した鉄道。アメリカ式の鉄道は日本で初めて採り入れられた。
本日は、北海道の鉄道についてお届けしたいと思います。

ジョセフ・ユーリ・クロフォード像
小樽の手宮⇔札幌間の鉄道が開通したのは、1880年(明治13年)で、新橋⇔横浜間、大阪⇔京都間に次ぎ、日本で3番目に開通した鉄道です。
開通した当初の営業区間距離は35.9kmで、本州の鉄道では、イギリス式の鉄道様式を使われていたのに対し、幌内鉄道は、アメリカ式の鉄道様式を使って、鉄道建設が進められたといわれています。
アメリカ式の鉄道様式が日本で最初に採り入れられたのが幌内鉄道です。

アメリカ製蒸気機関車「しづか号」
幌内鉄道の建設に携わった人物は、アメリカの鉄道技師「ジョセフ・ユーリ・クロフォード」博士で、この鉄道の建設が始まったのは、1878年(明治11年)頃でした。
車両はアメリカから輸入され、アメリカのH・Kポーター社製のC型テンダ蒸気機関車を2台、蒸気機関車に連結される客車もアメリカからそれぞれ輸入されたといわれており、輸入された2台の蒸気機関車に「弁慶」、「義経」と名づけられました。
北海道初のお召し車両である「コトク5010型」は「開拓使号」と名づけられ、幌内鉄道が開通してから翌年の1881年(明治14年)に明治天皇が北海道にご巡幸されたときに「開拓使号」が使われました。
因みに「弁慶号」と「開拓使号」は準鉄道記念物に指定されていて、この車両は埼玉県さいたま市にある「鉄道博物館」に展示されているそうです。

北海道初のお召し列車「開拓使号」の模型
手宮⇔札幌間の鉄道を建設する区間で一番難所だったのは朝里⇔張碓間付近です。
断崖と海に挟まれた鉄道ルートは、「安山岩」の地質による断崖に囲まれ、落石や雪崩が起こりやすく、このルートに囲まれている断崖による崩落は幌内鉄道が開業されて以来、長年の課題となっていたらしいです。
1957年(昭和32年)に崩落防止壁を設置したり、岩石除去の工事が行われたそうです。
1882年(明治15年)に札幌⇔幌内間が開通し、幌内で産出された石炭を鉄道を使って手宮まで運び、手宮に着くと鉄道から船に石炭を載せ替え、石炭は船便によって本州方面に出荷されたそうです。

北海道鉄道開通起点の石碑
幌内鉄道は、北海道鉄道のルーツであり、陸送による輸送手段の礎を築かせてくれたといえます。
手宮線は、1985年(昭和60年)11月に、幌内線は1987年(昭和62年)7月に鉄道営業を終え、各々の路線は105年に渡る歴史に幕を閉じました。
そして現在の手宮線は、廃線路として歩道整備を進め、小樽観光の役割を担っています。
