東京賢治の学校からこどもたちがやって来ました!C
綾の尾立地区に暮らす、生きた伝説の農民 田渕さんのお話を聞く会が開かれました。
田渕さんがどれ程すごいか知りたい方は、6/19のブログも合わせてご覧になってくださいね!

学校の食卓にて、田渕さんを囲んでのあたたかい懇談会が始まりました。
「さあ、何から話し始めようかな〜」
子供達を前に、少し照れながらぽつぽつとゆっくりお話を始めました。
自分の生い立ち、戦争のこと、満州での幼少時代のこと。
現金収入をえるために、子供に有利なアイデアをフルに活用したこと。
戦争が終わって日本へ家族と渡り、綾に入植してからの壮絶な日々のこと。
森を拓き、木を運び出し、田畑を開墾する。食べ物を得るために。すべてゼロから、自分達だけで。
雨風を凌ぐ小屋を作りはじめるが、屋根のできる前には雨の中、傘をさしたまま眠ることも。
しばらく綾を離れ、手に職をつけ精一杯働いたこと。
子供が大きくなってから綾に戻り、再び農業に身を捧げたこと。
星が輝きを失う日の出前から働き始め、星が再び輝く夕刻頃まで働き続ける(もちろんお昼は休むでしょうが)ことを、未だに現役で続けていること、など・・・。

圧倒的な田渕さんのリアルな人生談を前に、子供達はぐいぐい惹きつけられ、そしてメモを取り続ける子もいました。
あたりの空気が、心地よく静まり返っていきます。
善意のエネルギーが満ちてきます。

己が生きた時代に真摯に向き合い、それをひとつの個として体得しえた〈生の履歴〉を通して語ること。
語り始めることで、その時を生きた本人でさえも気づき得なかった視点に出合えることは多々ある。それは、語り手にとってのかけがえのない財産になるだろう。
あらためて、自分をながめること。自分が何者であるかをもうひとつだけ深く、知れること。無限に紡ぎ始めることができるはずの過去と呼ばれる〈動的磁場〉において。しかし、今日ここで紐解いたここからの切り口でなければ気づけなかった、無限の中にひそむ生きた証がある。
新鮮な出逢いが確かに待っていてくれる。
そして何より、聞いてくれる子供達がいること。
一緒に田渕さんの人生を追体験してくれる仲間、同士の存在が、語り手に希望を、勇気を、
そして更なる生きる歓びを奮い立たせてくれるだろう。
向かい合うことが大切なのだ。
差し出すものと受け取るもの。その流れが一方的であれば、やがてエネルギーは滞り、豊かな実りは萎(しぼ)んでしまうだろう。
話をお互いが止まずに続けなくてはならないということではない。
ことばを放ち続ける必要はない。
ことばの前にもっと大切なものがある(いる)。
僕は、もちろんそれをことばでは言えない。
ただ、それはあるのだ。
正直に、向かい合うことから始まるのだ。

僕たちからの質問を受け、図を使って答える田渕さん。
たしか、作物の収量を上げるための効果的な土壌改良の方法について、だったかな。
実際に自分で経験されて、失敗もなんども繰り返されて至った方法だから、話を聞いててすごく魅力的に感じてしまうし、信頼もできちゃうんだろうな。
魅力的といえば、田渕さんは何よりその手が素敵!
ことば以上に物語るもの、ここにも発見!ってかんじ。
いつかじっくり眺めさせてもらって、絵に描きたいな〜。
でも田渕さんは照れ屋さんだから、ぼくがじーっと見てると恥ずかしがって手をひっこめっちゃうんですもん。

会の終わり、記念にみんなで田渕さんと握手することになりました。
そのときの田渕さんの嬉しそうなお顔と言ったら、もう・・・







東京賢治の学校の先生とは久しぶりの再会だったらしく、がっちりと肩を抱き合ってまるで、ほんとうの親子のように笑いあい、また別れを惜しんでいました。
みんなも一緒になって笑いました。
こころから笑えました。
こんな人間関係が紡げるなんて、なんて人生はすばらしいんだろう・・・
単純にそう思えちゃうくらい、素敵な場面でした。

ありがとう、田渕さん。
これからもよろしくお願いしますねっ!

最後にみんなで記念撮影。
この瞬間、まるでひとつの家族みたいでしたよ。

P.S. こちらは田渕さんの帽子です。
・・・座右の銘かしらね、美しいわホント!
賢治の学校・実習生 緑
・みんなで声に出してみよう!!今日の「ありがとう」・・・
「 サゴル 」
アゼルバイジャン語(アゼルバイジャン、イラン北西部などで使用)