賢治の学校 綾

綾には日本一の照葉樹の森などの雄大な自然が残されています。この環境の中で自然農を中心に学ぶ学校作りをingで行っています。人間に備わっている喜びを大事にした学びの場作りを行っています。いい汗でいい笑顔に!!


宮沢賢治 詩篇vol.4

2008年7月1日

宮沢賢治 童話集vol.3

〔ひかりの素足〕より

 

 

 

三、 うすあかりの国

 

 

 

・・・・・けれどもけれどもそんなことはまるでまるで夢のようでした。

いつかつめたい針のような雪のこなもなんだかなまぬるくなり楢夫もそばに

居なくなって一郎はただひとりぼんやりくらい薮(やぶ)のようなところを

あるいて居りました。

 そこは黄色にぼやけて夜だか昼だか夕方かもわからずよもぎのようなものが

いっぱいに生えあちこちには黒いやぶらしいものがまるでいきもののように

いきをしているように思われました。

 一郎は自分のからだを見ました。そんなことが前からあったのか、いつか

からだには鼠いろのきれが一枚まきついてあるばかりおどろいて足を見ますと

足ははだしになっていて今までもよほど歩いて来たらしく深い傷がついて

血がだらだら流れて居りました。それに胸や腹がひどく疲れて今にもからだが

二つに折れそうに思われました。

一郎はにわかにこわくなって大声に泣きました。

 

 けれどもそこはどこの国だったのでしょう。ひっそりとして返事もなく

空さえもなんだかがらんとして見れば見るほど変なおそろしい気がするのでした。

それににわかに足が灼(や)くように傷んで来ました。

「楢夫(ならお)は。」 ふっと一郎は思い出しました。

「楢夫ぉ。」 一郎はくらい黄色なそらに向かって泣きながら叫びました。

 しいんとして何の返事もありませんでした。一郎はたまらなくなってもう足の

痛いのも忘れてはしり出しました。すると俄かに風が起って一郎のからだに

ついていた布はまっすぐにうしろの方へなびき、一郎はその自分の泣きながら

はだしで走って行ってぼろぼろの布が風でうしろへなびいている景色を頭の中に

考えて一そう恐ろしくかなしくてたまらなくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楢夫ぉ。」 一郎はまた叫びました。

「兄(あい)な。」 かすかなかすかな声が遠くの遠くから聞えました。一郎は

そっちへかけ出しました。そして泣きながら何べんも「楢夫ぉ、楢夫ぉ。」と

叫びました。

返事はかすかに聞えたりまた返事したのかどうか聞えなかったりしました。 

 一郎の足はまるでまっ赤になってしまいました。そしてもう痛いかどうかも

わからず血は気味悪く青く光ったのです。

 一郎ははしってはしって走りました。

 そして向うに一人の子供が丁度風で消えようとする蝋燭の火のように光ったり

また消えたりぺかぺかしているのを見ました。

 

 それが顔に両手をあてて泣いている楢夫でした。

一郎はそばへかけよりました。そしてにわかに足がぐらぐらして倒れました。

それから力いっぱい起きあがって楢夫を抱こうとしました。

楢夫は消えたりともったりしきりにしていましたがだんだんそれが早くなりとうとう

その変りもわからないようになって一郎はしっかりと楢夫を抱いていました。

「楢夫、僕たちどこへ来たろうね。」 

一郎はまるで夢の中のように泣いて楢夫の頭をなでてやりながら云いました。

その声も自分が云っているのか誰かの声を夢で聞いているのか

わからないようでした。

「死んだんだ。」 と楢夫は云ってまたはげしく泣きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一郎は楢夫の足を見ました。やっぱりはだしでひどく傷がついて居りました。

「泣かなくってもいいんだよ。」 一郎は云いながらあたりを見ました。

ずうっと向うにぼんやりした白びかりが見えるばかりしいんとしてなんにも

聞えませんでした。

「あすこの明るいところまで行って見よう。きっとうちがあるから、

 お前あるけるかい。」 一郎が云いました。

「うん。おっかさんがそこに居るだろうか。」

「居るとも。きっと居る。行こう。」

 

 一郎はさきになってあるきました。

そらが黄いろでぼんやりくらくていまにもそこから長い手が出て来そうでした。

 足がたまらなく痛みました。

「早くあすこまで行こう。あすこまでさえ行けばいいんだから。」 一郎は自分の

足があんまり痛くてバリバリ白く燃えてるようなのをこらえて云いました。

けれども楢夫はもうとてもたまらないらしく泣いて地面に倒れてしまいました。

「さあ、兄さんにしっかりつかまるんだよ。走って行くから。」 一郎は歯を

喰いしばって痛みをこらえながら楢夫を肩にかけました。そして向うの

ぼんやりした白光をめがけてまるでからだもちぎれるばかり痛いのを堪えて

走りました。それでももうとてもたまらなくなって何べんも倒れました。

倒れてもまた一生懸命に起きあがりました。

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 ふと振りかえって見ますと来た方はいつかぼんやり灰色の霧のようなものに

かくれてその向うを何かうす赤いようなものがひらひらしながら一目散に

走って行くらしいのです。

 一郎はあんまりの怖さに息もつまるようにおもいました。それでもこらえて

むりに立ちあがってまた楢夫を肩にかけました。楢夫はぐったりとして気を

失っているようでした。一郎は泣きながらその耳もとで、

「楢夫、しっかりおし、楢夫、兄さんがわからないのかい。楢夫。」

と一生けん命呼びました。

 

楢夫はかすかにかすかに眼をひらくようにしましたけれどもその眼には黒い色も

見えなかったのです。一郎はもうあらんかぎりの力を出してそこら中いちめん

ちらちらちらちら白い火になって燃えるように思いながら楢夫を肩にしてさっき

めざした方へ走りました。足がうごいているかどうかもわからずからだは何か

重い巌(いわ)に砕かれて青びかりの粉になってちらけるよう何べんも何べんも

倒れてはまた楢夫を抱き起こして泣きながらしっかりとかかえ夢のようにまた

走り出したのでした。それでもいつか一郎ははじめにめざしたうすあかるい

処(ところ)に来ては居ました。けれどもそこは決していい処ではありません

でした。却(かえ)って一郎はからだ中凍ったように立ちすくんでしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すぐ眼の前は谷のようになった窪地でしたがその中を左から右の方へ何とも

いえずいたましいなりをした子供らがぞろぞろ追われて行くのでした。

わずかばかりの灰色のきれをからだにつけた子もあれば小さなマントばかり

はだかに着た子もありました。瘠(や)せて青ざめて眼ばかり大きな子、

髪のあかい小さな子、骨の立った小さな膝を曲げるようにして走って行く子、

みんなからだを前にまげておどおど何かを恐れ横を見るひまもなくただふかく

ふかくため息をついたり声を立てないで泣いたり、ぞろぞろ追われるように走って

行くのでした。みんな一郎のように足が傷(きずつ)いていたのです。

 

そして本とうに恐ろしいことはその子供らの間を顔のまっ赤な大きな人の

かたちのものが灰いろ棘のぎざぎざ生えた鎧を着て、髪などはまるで火が燃えているよう、ただれたような赤い眼をして太い鞭を振りながら歩いていくのでした。

その足が地面にあたるときは地面はがりがり鳴りました。

一郎はもう恐ろしさに声も出ませんでした。

 楢夫ぐらいの髪のちぢれた子が列の中に居ましたがあんまり足が痛むと見えて

とうとうよろよろつまずきました。そして倒れそうになって思わず泣いて

「痛いよう。おっかさん。」 と叫んだようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

するとすぐ前を歩いて行ったあの恐ろしいものは立ちどまってこっちを

振り向きました。その子はよろよろして恐ろしさに手をあげながらうしろへにげようとしましたら忽(たちま)ちその恐ろしいものの口がぴくっとうごきばっと鞭が鳴って

その子は声もなく倒れてもだえました。あとから来た子供らはそれを見てもただ

ふらふらと避けて行くだけ一語も云うものがありませんでした。

倒れた子はしばらくもだえていましたがそれでもいつかさっきの足の痛みなどは

忘れたようにまたよろよろと立ちあがるのでした。

 一郎はもう行くにも戻るにも立ちすくんでしまいました。

 

俄かに楢夫が眼を開いて

「お父さん」 と高く叫んで泣き出しました。すろと丁度下を通りかかった一人の

その恐ろしいものはそのゆがんだ赤い眼をこっちに向けました。一郎は息も

つまるように思いました。恐ろしいものはむちをあげて下から叫びました。

「そこらで何をしてるんだ。下りて来い。」

 一郎はまるでその赤い眼に吸い込まれるような気がしてよろよろ二三歩

そっちへ行きましたがやっとふみとまってしっかり楢夫を抱きました。

 

その恐ろしいものは頬をぴくぴく動かし歯をむき出して咆(ほ)えるように叫んで

一郎の方に登って来ました。そしていつか一郎と楢夫とはつかまれて列の中に

入っていたのです。ことに一郎のかなしかったことはどうしたのか楢夫が歩ける

ようになってはだしでその痛い地面をふんで一郎の前をよろよろ歩いていること

でした。一郎はみんなと一緒に追われてあるきながら何べんも楢夫の名を低く

呼びました。けれども楢夫はもう一郎のことなどは忘れたようでした。

ただたびたびおびえるようにうしろに手をあげながら足の痛さによろめきながら

一生けん命歩いているのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一郎はこの時はじめて自分たちを追っているものは鬼というものなこと、

また楢夫などに何の悪いことがあってこんなつらい目にあうのかということを

考えました。そのとき楢夫がとうとう一つの赤い稜(かど)のある石につまずいて

倒れました。鬼のむちがその小さなからだを切るように落ちました。

一郎はぐるぐるしながらその鬼の手にすがりました。

「私を代りに打って下さい。楢夫はなんにも悪いことがないのです。」

 鬼はぎょっとしたように一郎を見てそれから口がしばらくぴくぴくしていましたが

大きな声で斯う云いました。その歯がギラギラ光ったのです。

 

「罪はこんどばかりではないぞ。歩け。」

 一郎はせなかがシィンとしてまわりがくるくる青く見えました。

それからからだ中からつめたい汗が湧きました。

 こんなにして兄弟は追われて行きました。けれどもだんだんなれて来たと見えて

二人ともなんだか少し楽になったようにも思いました。ほかの人たちの傷ついた

足や倒れるからだを夢のように横の方に見たのです。にわかにあたりがぼんやりくらくなりました。それから黒くなりました。追われて行く子供らの青じろい列ばかり

その中に浮いて見えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だんだん眼が闇になれて来た時一郎はその中のひろい野原にたくさんの

黒いものがじっと座っているのを見ました。微かな青びかりもありました。それらはみなからだ中黒い長い髪の毛で一杯に覆われてまっ白な手足が少し見える

ばかりでした。その中の一つがどういうわけか一寸動いたと思いますと俄かに

からだもちぎれるような叫び声をあげてもだえまわりました。そしてまもなく

その声もなくなって一かけの泥のかたまりのようになってころがるのを見ました。

そしてだんだん眼がなれて来たときその闇の中のいきものは刀の刃のように

鋭い髪の毛でからだを覆われていること一寸でも動けばすぐからだを切ることが

わかりました。

 

 その中をしばらくしばらく行ってからまたあたりが少し明るくなりました。そして

地面はまっ赤でした。前の方の子供らが突然烈しく泣いて叫びました。列も

とまりました。鞭の音や鬼の怒り声が雹(ひょう)や雷のように聞えて来ました。

一郎のすぐ前を楢夫がよろよろしているのです。まったく野原のその辺は小さな

瑪瑙(めのう)のかけらのようなものでできていて行くものの足を切るのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼は大きな鉄のくつをはいていました。その歩くたびに瑪瑙はガリガリ砕けた

のです。一郎のまわりからも叫び声が沢山起りました。楢夫も泣きました。

「私たちはどこへ行くんですか。どうしてこんなつらい目にあうんですか。」

楢夫はとなりの子にたずねました。

「あたしは知らない。痛い。痛いなぁ。おっかさん。」

その子はぐらぐら頭をふって泣き出しました。

「何を云ってるんだ。みんなきさまたちの出かしたこった。

どこへ行くあてもあるもんか。」

 

 うしろで鬼が咆えてまた鞭をならしました。

 野原の草はだんだん荒くだんだん鋭くなりました。前の方の子供らは何べんも

倒れてはまた力なく起きあがり足もからだも傷つき、叫び声や鞭の音はもう

それだけでも倒れそうだったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楢夫がいきなり思い出したように一郎にすがりついて泣きました。

「歩け。」 鬼が叫びました。鞭が楢夫を抱いた一郎の腕をうちました。

一郎の腕はしびれてわからなくなってただびくびくうごきました。

楢夫がまだすがりついていたので鬼がまた鞭をあげました。

「楢夫は許して下さい。楢夫は許して下さい。」 一郎は泣いて叫びました。

「歩け。」 鞭がまた鳴りましたので一郎は両腕であらん限り楢夫をかばいました。

かばいながら一郎はどこからか

「にょらいじゅりゃうぼん第十六。」 というような語(ことば)がかすかな風のように

また匂(におい)のように一郎に感じました。

 

すると何だかまわりがほっと楽になったように思って

「にょらいじゅりゃうぼん。」 と繰り返してつぶやいてみました。すると前の方を

行く鬼が立ちどまって不思議そうに一郎をふりかえって見ました。

列もとまりました。どう云うわけか鞭の音も叫び声もやみました。

しぃんとなってしまったのです。

気がついて見るとそのうすくらい赤い瑪瑙の野原のはずれがぼうっと

黄金(きん)いろになってその中を立派な大きな人がまっすぐにこっちへ歩いて

来るのでした。どう云うわけかみんなはほっとしたように思ったのです。

 

 

 

 

 

賢治の学校・実習生  緑

 

 

 


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2008年7月1日 15:08

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