賢治の学校 綾

綾には日本一の照葉樹の森などの雄大な自然が残されています。この環境の中で自然農を中心に学ぶ学校作りをingで行っています。人間に備わっている喜びを大事にした学びの場作りを行っています。いい汗でいい笑顔に!!


 「緑の倫理学」vol.1 文 中沢新一

2008年7月19日

「緑の倫理学」vol.2 文 中沢新一

雑誌「風の旅人」第7号より

 

 

 

 

 

「・・・このような心性が、狩猟民の間に普遍的に抱かれてきたことをしめす、たくさんの証拠がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧石器時代の狩猟民たちも、すでに人間と動物とを同化する思考方法をとっていたことが、有名なラスコー洞窟の壁画などから推論することができるし、新石器時代になると、それは複雑な神話と儀礼の体系をつくりだすようになっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイヌ民族の<イヨマンテ(送り)>の儀礼などが、その代表的なもので、そこでは熊にはじまって亀やイルカにいたるまで、およそ重要と思われる動物を狩りで仕留めたさいに、骨と肉をはずして、丁重に骨に飾りをほどこして供養棚をつくり、その霊をもときた<動物霊の世界>に送り返すための、複雑な儀礼がおこなわれていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう儀礼をささえているのが、人間と動物が同類であることを語る、さまざまな神話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それによると、その昔は(神話は時間と空間が溶け合う原初のときについて語ろうとするものだから、どうしても<昔々は>と言って語りだすのである)、動物も人間のように言葉をしゃべることができたし、人間もそうなろうと思えばいつでも動物になることができたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動物たちは<動物霊のすむ小屋>にいるときは、人間とまったく同じような家族や社会をもって暮らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうときは、動物も人間の姿をしているのであるが、小屋を出るときには、壁にかかっている動物の毛皮を身にまとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

するとそこには、人間たちがふだん目にしているあの狐やら鹿やら山羊やら熊やらの動物たちがあらわれるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間はしばしばそういう動物たちと結婚もした、と神話は語る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、動物はたんに自分たちの同類であるばかりではなく、妻であり、夫であり、子供であり、おじさんやおばさんだった存在だということになるのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間は狩猟において、そういう自分の兄弟や家族を殺すのである。

 

 

それならばどうして、殺された動物たちに深い憐憫(ピティエ)の感情を持たないでいられるわけがあろうか。」

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

賢治の学校・実習生  緑

 

 

 

 

 


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2008年7月19日 6:15

コメント

みなみ風 [2008年7月19日 11:38
緑君、いつまで引用が続くのでしょうか。あなたの言葉が聴きたい。
賢治の学校 綾 [2008年7月19日 15:51
・・・ブログ制作にあたり、まずはじめに農的生活ありき。つぎに日々出会う幾つかの情況に喚起され、シャッターを押す行為がつづきます。写真の画像を見返してみて、印象が内から言葉として響いてくるときと、しばらく寝かせてもそうはならないときがあります。そんなとき、書物や雑誌、ノートに書き込んた誰かの言葉がメッセージをはなち、それを感受したときに「ああ、これだ」と思える瞬間がある場合、それをげんざいのじぶんの言葉ではより丁寧にお伝えできないと判断できる場合、迷わず引用文を使わせていただいております。言葉とは、厳密には個人の私物ではないと思っています。<私の意見>として発せられる言語表現の中には広い幅が存在します。そのなかで、自分だけの言い方・切り口・視野・思考法にこだわる術と、既刊の媒体からある一節を抜き出しそれを提出・編集・デザインする作業とを比べた場合、どちらも私的な行為でありますし、同時にまた純粋な<ワタクシ>とも呼べないと思うのです。・・だらだらと書いてしまいました。よろしければ、また聴いてほしく思います。緑
みなみ風 [2008年7月19日 18:33
言葉は、個人の私物ではないということはよくわかります。自分の文章は、他人の文章=思考の切り取り、貼り付けの作業の果てにあるものでしょうし。
でも、あまり長々とした引用は、バナナジュースを注文したのに、バナナが出てきたときのような違和感が、ずっと続くような感じというかな。
写真とのギャップもあって、読みづらい。中沢新一さんの文章がごっそりとまとまっていた方が、読みやすいような気がする。
引用というのは、むしろ怖い。自分がそれをどれだけ理解しているかが問われるから。

賢治の学校 綾 [2008年7月20日 14:44
みなみ風さま

引用文は、自己認識の外縁部にひろがる果てのない原風景を照らし出してくれる道標です。

貴重なご意見、肝に銘じ制作の糧にさせていただきます。



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