うまのおやこ
学校の近く、ぼくたちが<ふわふわ畑>とよんでいる畑にむかう途中の道には、うま牧場がありそこでは親子がいつも寄り添いながら生活しています。

樹木の向うからこちらを眺め返しているのか、そこには母馬(おそらく)と子馬(少年?)がゆったりと過ごしている時間がながれていました。
いつも数歩ひいて母に寄り添う子馬くん。

しばらくしてこちらに興味を失った母は、ふたたび途中だった手仕事を再開するように食の悦びへと向かい、そのすぐ傍らの少年だけがこちらの観察をつづけていました。

みどりが深まりいのちがそろって伸び上がらんと欲すこの時節、牧場を彩る草たちはなかなか新芽以上に生育をすすめることができません。
丁寧な管理者が、太い食欲のエネルギーをひっさげ辺りを入念に巡回しつづけるからです。
ある程度の温度と雨に恵まれるのであれば、夏の草本類の伸長は一日でもだいぶ景色をかえてしまうものですが、ここからは一見あわただしく烈しいいのちの競(共)演を感じとることができません。

照りつける日差しの痛みに加え、ここにひろがる<時間の堆積の鈍さ>はあたまを金属のように重たくしてしまうのです。
草たちのいきる意識が絶たれてしまったわけではなく、いきようとする意識に気づかずに通り過ぎてしまう、感心の薄い<私の>同質観について思うことがあります。

・・・ここは、まるで自然農の田んぼをのぞいているかのようです。
辺りの植生の表情から豊かさはなかなか滲んでまいりませんが、踏みしめられ、食されるという抑圧の最中にありながらも(いやむしろ、だからこそなのでしょうか・・・)、何度でも何度でも準備を整え、機会さえ訪れれば我先に?飛び出してやろうという野心に近きちからが、ここにもぎしぎし充満してあるのかもしれません。

食する馬と、背後でおもうにまかせて枝をふりかざす樹木と、食されながらも機を待つ牧草。
三者には何かしらの因果関係があるのでしょうか。
たとえば暑いお昼時、馬が周辺の野外では唯一のこの樹の木陰に涼をもとめてたゆたう時間、草たちはここぞとばかりに空を夢見、背筋を伸ばす・・・という結い方だったりが。
馬はなにをのぞんでいるのでしょう。
樹はなにをのぞんでいるのでしょう。
草はなにをのぞんでいるのでしょう。
ぼくはなにをみていたのでしょう。
あなたはなにをおもうのでしょう。

そうこうぼんやりしているうちに、母がこちらに揚々と駆け寄ってきたかと思うと、

突然ばたんっと転んでしまいましたっ!!
・・・・という風にこの二枚の写真からはうかがえるのではないかと思うのですが、じつはゆっくりと立ちどまってまず前足を折りたたみ、つぎに後ろ足を折りたたんで正座?のような姿勢をつくりながら、しずかに横に寝っころがっておもむろにがしがし背中をかき始めたのでした。
ぼくは、あまりの光景にあっけにとられて(こういうときに使うことばなんですね)しばらく見とれてしまいましたが、我に返っていちまいだけ写真に残すことができました。
腰を上手にひねりながら、カイカイを続けているところです。
後で人に聞いてみたら、そんなに珍しい光景でもないそうですね。
ともあれ、ぼくにとってはこの場での、はじめての躍動感ある時間帯だったのでした。
賢治の学校・実習生 緑