稲 ダイジェストォー! 第四手
7/10の稲の様子です。

7/10(木)
お昼の暑さがきびしく身体にひびくようになってきた最近の野外作業は、お日様の張り切りすぎる時間帯を避け、早朝作業と夕方作業(通称“宮崎時間”)に切り替えています。
朝五時まえ起床、五時半作業開始で田んぼにやってまいりました。
朝日はすでに顔を出してはいますが、水辺だからでしょう、まだまだ辺りはひんやりと涼しく心地よい気が漂っており、眠たくて緩(ゆる)かったからだにも一本の芯がすうっとはいってまいりました。

・・・しずかです。
虫たちやカエルも盛んに鳴いていたし、鳥の声やはばたくおとも聞えていたかもしれませんので、まったく無音の世界だったわけではないのです。
風がひょいひょいと吹き、稲や草のかさかさ触れ合うおとや、水路をじょろじょろながれる水のおとだってあったでしょう。
ぼくたちの話し声だって時おり交わされ・放たれるし、畦をふみしめ歩いたり、田んぼに入って作業するときにもいくらでもおとは生まれるのですが、すぐにかき消されてしまうのです。
何に??
にんげんには容易に言語化されなくなった、ものすごく饒舌な自然の満ちる解(ほつ)れないことばたちによって・・・
とでもいえば、すこしは言い得ているのだろうか・・・
いやいや、見当違いかもわかりません・・・

一週間前とさほど分けつのぐあいは変わっていないようですが、地に足がついた感じが出てきたというか、腰の入った立ち振る舞いになってきました。
葉も茎も肥りだし、色艶も濃くふかくなってきています。
まるで、新緑の春から深緑の夏へと変わっていった、照葉樹林の照る葉のかがやきを眺めているみたい。
半年間の稲の一代の生活環のなかには、かれらの季節がぎゅうっとつまっているのですね。

単純な数字による相対比較には、あまり意味がないことを承知の上ですが・・・
たとえば、稲ひとりの一生を半年、人ひとりの一生を80年と考えて見ますと、半年は約183日、80年は約29200日となり、つまり稲ひとりの一日は人ひとりの約160日分にあたることになります。
“いち”にちが、“ひゃくろくじゅう”にちぶんにあたるなんて・・・なんとなく、すごいと思っちゃいません??
ひとによっても、おそらく稲によっても160日をどう捉えるかは千差万別なんでしょうが、ぼくにはけっして軽いものにはおもえません。

針のようにぴいんっと天をさして示し、なにをきみは なにを云うのか?
おのずとこちらの視線も天へとみちびかれ・・・

ところで、植物生育にかかせない有用元素のひとつとして、ケイ素(Si)があります。ケイ素は、ケイ酸という分子のかたちで植物にごくごく吸収されるのですが、稲はほかの作物にくらべ、生育に多くのケイ酸を必要としています。
吸収されたケイ酸のほとんどは葉身(葉っぱの緑色の部分)表面に蓄えられて、受光態勢を改善したり(背筋をしゃんっと伸ばしてくれます)、虫がつきにくくなったり、病気から守られたりするそうなんです。
葉っぱをすい〜っと撫でるように触ってみたとき、表面がまるでグラスファイバーで出来た鎧を着こなしているかのようにちくちく硬く感じられたら、ケイ酸が行き渡っている証拠です。
葉っぱのふちに朝露が交互に飾られているのも、なんだか面白いですね。

われわれは何処からきたのでしょう

われわれは何者なんでしょう

そして われわれは何処にいくのでしょう
フランスの画家 ポール・ゴーギャン
1897〜1898年に描かれた絵画の題名より
(ボストン美術館蔵)
賢治の学校・実習生 緑