働くアウトドアin愛林館! 新技、巻き枯らし間伐篇
いよいよ愛林館でのボランティア生活が始まります。
初日の今日は、森に入っての間伐体験作業です。

朝の五時過ぎごろ、水俣の久木野地区にあります愛林館の周辺をさんぽに出かけました。
作業開始は八時半なので、こんなに早く起きなくてもいいのですが、綾での早朝作業に慣れてしまったカラダは、目覚ましがなくともこのくらいの時間に起きてしまうのでした。
少しずつ、少しずつ、辺りから靄のように漂うほのかに白いカーテンがぱちんぱちんと弾けるように開かれてゆき、今日のお日様が隙間からすう〜っとやってくるのが分かります。
こころが静かにわくわくしてくる時間です。

こちらが朝の愛林館です。
五年ほど前、鹿児島の大口市に住んで芸術活動を行なっていた頃、友人に連れられて一度こちらにお邪魔したことがあったので、なんとなくこのオランダ調??な佇まいは記憶にありました。
お店には地元の自然食品をふんだんに使った加工品やその他面白いものがいっぱい並んでいますので、近くに来られる際はみなさんも是非お立寄り遊ばせ下さいねっ!

あかるくなりました。
・・・下には川が流れており、その傍らの細長い緩やかな傾斜のスペースを用いて、棚田状にびっしりと稲が植えてありました。
水が豊富なんでしょうね、整然ときれいに整備された水路をながれる水の音がいつまでもいつまでも止むことがありません。
しゃらしゃらしゃらしゃらしゃらしゃらしゃら・・・・
う〜ん、羨ましいです。

ではでは出発しましょう。
愛林館の軽トラや車、二台三台をびっしり乗り合わせて、ぐんぐんぐんぐん山道を駆け上がっていきます。
荷台でごとんごとん揺られながら、爽快にぴしゃりと風を切って新鮮な空気を肺にいっぱいつめ込んで、移ろいゆく風景に僕のお預かりしている眼も*脳幹網様体もぱっちり楽しんでいらっしゃるのがわかる・・・
お気に入りのひとときでした。
*脳幹網様体(のうかんもうようたい)・・・上方は大脳の底部の視床から下方は脊髄上部に至るまで、脳幹全域にわたって上下に連なる組織。
知覚神経経路の一部を受けて、外界からの刺激に応じて大脳皮質の活動水準を保つ。
・・・つまり、意識をはっきりさせておく働きを持つんだそうですよ。

水俣は、全国の棚田百選に選ばれるくらい美しい田園風景が広がっている土地です。
ちょうど稲穂が花を開いて受粉を行なう前くらいだったのでしょうか。
どんどん分けつしたり、茎や葉の緑を深めたりするのも一段落、今度は後世へのいのちの継承のための直接的な準備に入っていきます。
受粉と結実のために、全身のすべてのエネルギーを向けるのですね。
・・・もしかすると、今が一番緑色の華やかな時期かもしれませんよ。
出産をひかえる、すべての女性に敬意と羨望をお贈りいたします・・・とそんな神妙?な心持で合唱。(僕も産んでみたいもんです、できるなら・・・)

むこうとこちらのお山をぬって、川の流れのように緑の絨毯が広がっています。
それこそ昔は大河や土石流で崩れた跡地を利用して、山間の棚田はつくられていったのかな。それとも、山を人為的に開いて焼畑を繰り返したり陸穂をつくったりした後に水田が入ってきたのかしら。一概には言えぬのでしょうけれども・・・
その辺、沢畑さんどうなんでしょう?
人類誕生以前には、なんども大火山のマグマがどろどろ流れたり・・・で路になった・・・とかもあったのかしら。

さあ、われらが〈チーム愛林館〉は車を降り、ここからは徒歩で奥地を目指して歩き始めます。
メンバーは、愛林館スタッフと全国からこの日のために結集した(ほぼ九州在住人)志願兵の猛者??たち。
山に入る前には、竹を炭焼きにするときに出る竹酢(ちくさく)液を服の上から全身に塗りこみました。こうすると、蚊やアブを始めとする虫たちが嫌がって寄って来ないのですって。

しばらく山を登ったところで、館長の沢畑さんの説明を受け、いよいよ間伐作業開始です。
みんな猛る気持ちを抑えられず、まだかまだかと興奮気味な表情???です・・・・・・かにゃ?

まずはじめに、森づくりボランティアネットのF本さん(でしたっけ?間違ってたら、愛林館の皆様、訂正お願いいたします。)から実際に〈巻き枯らし〉間伐というものの見本を見せていただきました。
通常の間伐では、スペースを開いて育てる樹木を太らすために合間の樹をのこぎりやチェーンソーなどで切り倒していくのですが、〈巻き枯らし〉では、樹が生育するために必要不可欠な形成層の部分までにナイフ(僕たちは、あらかじめ竹の先を尖らせてつくっておいた手製ナイフを用意しました)やのこぎりを入れ、30cm以上の幅で(あんまり狭いと生き残ったカルスにより癒合され、枯れない場合があるそうです)べろりと周囲の皮をむいていくのです。

樹は外側へいけばいくほど若く瑞々しい細胞分裂がさかんに行なわれており、中央部は髄や木質部となって生命体としては〈死〉を迎えます(もちろん〈死〉んだからといって必要なくなったわけではなく、垂直に天をめざす身体構造を維持するためには不可欠な堅牢な部位です)。

ここは、植林されたスギ林だったと思いますが、こんなに簡単にいっぺんにむけるなんて知らなかった。
樹木に生命力があるから離層がいきいきと発達しており、むけやすいのだそうで、弱っている樹木だと剥ぎ取るのは至難の業だそうです(実際やってみるとそうでした)。
樹を切り倒して運び出す労力を思えば、ずいぶん省エネで作業することが出来ますね。
〈巻き枯らし〉の一番の利点は、樹を立ったまま枯らせて乾燥させるので軽くなり、その後切り落とすのも運び出すのも容易になるということだと思います(切り倒して寝かせたまま乾燥させると、どうしても土に触れている部分から腐食してくるので、材としての利用価値が下がります。・・・ただし、間伐材に需要があるとしての話ですが)。
ただ、間伐材を材として利用することがないのであれば、樹が細いうちに一気に切り倒してしまったほうが、むしろ二度手間がなくていいような気もしましたが(巻き枯らしの後に、どうせまた切り倒すのであれば。)・・・。
あと立ち枯れた樹の強度がどのくらいあるのかも気になりました。台風の後とかに森に入って、突然倒れてくることはないのだろうか・・・とか。
*ギャップのことも気になります。樹を切り倒してしまえば、その分すぐに光が地表に届くようになって森の下草(ベニバナボロギク群落?)や陽光性の先駆性樹木やマント群落も伸び始め多様な森づくりに貢献してくれるような気がするのですが、立ち枯れ状態だとなかなかギャップも広がらず、太らせたい樹の生育にもあまりプラスにならない(即効性が薄い)気がして。
しかし一方で、立ち枯れて徐々に枝葉を落とした分だけゆっくりとギャップを広げてくれたほうが、それまでなかったところにいきなり光を取り込むよりも、まわりの生き物へのダメージも少なく、遷移が簡略に進む(スギの肥大化にとっては有効??)ような気もします。
どっちをとっても長短あるような気がしますが、その辺如何なんでしょう。
*ギャップ・・・高木の枯死や転倒あるいは伐採によって林冠(りんかん。林や森のてっぺん)に穴が開くこと。

そんなオモイにうんうん浸る間もなく、あっという間に一本作業が終わりました。
まるで、希少な巻物をとりだし、一般公開しているかのよう。
そこには億年単位で綿々と記されてきた、いのちの履歴が途切れることなく記載されているのでしょうか?
もし日本語で解読・翻訳できるのなら、文筆家の幸田文さんか、分子生物学者の福岡伸一さんの文体で読んでみたいものです。

さあ、ぼくらも作業開始です。
みんな真剣に樹に向かい合っていました。
一本の樹をじわじわと窒息死させるように養分の通路を遮断してしまう枯らし方。
・・・健康な森をつくるためには、必要不可欠な作業だという。
確かにひとつのいのちに執着すれば、全体としてのいのちに眼が届かなくなる恐れはあるだろう。
しかし、ひとつのいのちも、いのちはいのち。〈量〉で価値判断を下してはいけないんじゃないか・・・と僕の窮屈な左脳は考える。
〈量〉や〈効率〉や〈合理性〉を重要視し過ぎると、エントロピーは加速度的に増加し、社会は非動的な平衡状態に近づき(使用可能なエネルギーは急速に消費され、使用不可能な形で廃棄・蓄積されていく)、より一層崩壊に迫る・・・というのは、僕が現代資本主義社会で学びつつある現実の一側面であることは確かだろうと思います。
〈ONE FOR ALL ALL FOR ONE〉 にいまいち乗り切れないのは、自意識を過保護に扱いすぎているためなのか、好き嫌いが強いためか・・・そう単純には言い切れない気がする。
人間の意識や意図が、全地球規模での普遍的な価値基準であるとは言えない。
シンプルに統一される〈普遍的な価値基準〉など、そもそも存在しないのではないでしょうか。
そのためには、ハイゼンベルグの〈不確定性原理〉を生活水準において吟味・咀嚼(そしゃく)していくことが必要になるだろう・・・。
いのちは常に、揺らぎ・動き続けるものだからです。

こちらはスタッフのH島さんです。
背負った籠がよく似合っていますね。
僕たちが作業に集中できるように、あれこれ準備をしてくれたり細やかな心遣いをしてくださいました。
ありがとう。

間伐した樹は、むき出しの赤ちゃんのような瑞々しい肌色が目印となって分かります。
実際肌に触れるとぬるぬるした水分や樹液が、道管や師管から溢れだしていました。
樹に帽子やカバンをかけているのは、地べたに置くと遠くから分からなくなるし、無くしてしまうことが多いからだそうです。
なるほどね〜

一度ひとが手を入れた森は、人間にとっての有用な状態(商品としての樹を美しく大きく育てたり、食物になる植物を護ること)を確保するために、定期的な管理を必要とします。
それがひとが自然界の入り口に踏み込んで拓いたエコトーンである里山や人工林との関わり方であり、定住生活を営む上での不可欠な在り様です。しかしながら余りにも人間の生産本位に自然を改変しようとすると、そのぶんあらゆる箇所から制御不能な混乱をきたすことも、すでに実証済みだと思います。
ひとが生きるためにある程度の収量を必要とするエコトーンといえども、〈半自半然〉とか〈半人半然〉くらいのゆとりで関わるのが獲得すべき理想ではないでしょうか。

こちらは、参加者が生み出した〈巻き枯らし〉オブジェ、名づけて「バナナ剥き」作品です。
通常は上下に2箇所、ぐるりと切込みを入れてその間をぴらりと(できたら、超気持ちイイっ!)剥いでいくのですが、この場合は上部だけ切り込んで後は縦に「バナナ」をむくようにぺろりとはがしていくんです。
山の斜面の上部から見ると、まるでココは熱帯か?と見間違うような不思議な大きい華が咲いているようでした。

近くで見ると、肌にはつんつんとした気根のような突起が無数に出ています。
ココで表皮を通して外界との通気を行なっているのかな?
(・・・すね毛?)
なんだかゴーヤが食べたくなりました。

待ちに待ったお昼タイムです。
いったん山に上がるといちいち戻るのが大変なので、お昼は現地で戴きます。
メニューは愛林館でも食べることができるカレー2種!!
普通のカレーと、タイカレーでこれがめちゃめちゃめっちゃ美味しいんですわっ!!!
これを食べるたんびに疲れたからだが元気になって、ようし午後もガンバローって気になっちゃうんです。
食べ物のちからは偉大だ〜なぁ〜
・・・つうか、これじゃ館長のオモウツボ??
賢治の学校・実習生 緑
・みんなで声に出してみよう!!今日の「ありがとう」・・・
「 ジャークユ 」
ウクライナ語