愛の泥棒
遠いし仮想に過ぎぬよな国との距離を憶えた未だウシブタウイルス禍期間に、すぐ近くホンモノだらけの自然との境界線こそが人も含む万物の生の時間だということを痛感する。戸外で休みの子らが遊ぶ声を聴きながら縁側で絵日記を付けておると側の柱にはとっくり蜂が土を運び何やら巣を造型し始めた。
八十一並みの造型
元町陶苑も凌駕する土との魂のハーモニー。
ダニの次は蜂なの!奥さんはたじろぐが。私は刺されはしないと高をくくっている。高官でもないし。

一夜明けて、突貫工事はゼネコン並みに進捗す。あー高千穂鉄道の鉄橋工事もこのやる気
を政治家達に注入すればきっと今頃は復興してただろう。今回は二重にふるさとに危機がおよんでいることをよもや忘れまじ。
この蜂には欲など見受けられない
やる気あるのみ。人は自然界から離れ始めて欲とやる気を試し始めた。危険な試供品に手を出し
た
(蟻も蜂の羽が退化したもので、蜂同様社会生活をするとアシナガ蜂図鑑に載っている。
このとっくり蜂はいよいよ青虫を
運んできて、卵が孵化し餌にする段階に入ってきた。)
た人は、パブロフの犬の如くやる気を麻痺させ、やがて漆黒の闇の世界へ足を踏み入れた。
何
かダースベーダーの世界観になってきたけどもが、
人の理解を超えたところに愛も、浮かんでいそう

だ。勤勉さや従順さを信じ込まされ、踏み絵で試され、愛を知ることを一番苦手となった人。
愛が不得手になった無防備な人に容赦なく悪魔はダニの如くちゅうちゅうし始める。
悪魔を手本にしてみたら、欲依存になった。欲を超えるのはやる気だ。欲に絡めとられるのは病気
だ。
エクソダス。欲の世界からやる気の世界へ脱出だあ。とかなんとか知力を絞る夏の日々。

芋の茎と苦瓜で夏の活力は増すばかり、肉欲食欲に盲従せんでもいいみたい。
畑をメンテする奥さんの頭をバッタは枯れ草と間違えているようだ、自然との一体感をベースに
ホンモノと言えそうなものを求め続けることが、欲に走らないことを学ぶこと。コンポート用に桃収穫。
草刈中に間違えて切った南瓜の蔓もまだまだ生きている。いのちはERでも畑でも繋がるもの。
26歳のバースデー前に裕人特製カレーが登場した。ゆとり持つ若者のシーンは大切だなあ。
わかめうどんをすする元気にリスペクト
&母の弁当のおかずにも
私の26歳も孤独と愛と欲望が入れ混じった時期であったよなあ。
奥さんと出会えて、離れた女性たちとの経験も宝。裕人もいよいよ人としての原型が出来上がろうとしている。
何杯も何杯も食べて、身体は徐々に出来て来る。
無意識にまかせて、欲ばらなければ、いのちは自動的に繋がってくれる。
苦くて臭味の在るニラも軽く茹でれば、醤油となじむ。レバニラだけがベストではない。ばら肉炒めでも、醤油だけでも。
裕人カレーは自炊キャリアの野菜を仕送りしていた(*宏江さんの賢治の学校産直を使った事だろう)結実だな。
甘い悪魔的な食欲は否定しようにも素直すぎて人らしさで仕方なし。
欲のかたまりのくせに聖人ぶんな
悪魔は執拗にメールをよこす。

でも黒胡麻水羊羹を愛するように悪魔とも付き合っていくことが生きるってことだとようやく悟る

老母にねだってホンモノのトマトジュースを飲んでみた。ホンモノは愛を纏っていた。

お返しには、畑の野菜を食べてもらった。

26歳の超克に自分を重ねている内に、いのちは次々に登場している。
孫の美夢の髪がうっとうしくもありリクエストしてトトロのサキに。
とたんにスクリーンから飛び出して青畳上を駆ける
片や子猫は初めての大暑に皮膚疫とW受難はまだ解けぬ。
勝手に出入りする野良の方が元気なのは

人と距離を置く方が健康だという立証かも。
奥さんは坦々と苗植えの空きを作ってはたかきび植え。子育ての無我夢中から開放されて、ホンモノとゆっくり向き合っている風だ。そうか、彼女は自然農のシナリオライティングに余念がないのだな。まあ、わたしはこの電気絵日記だし。