先生と私 -4-
備忘録
漱石 『こころ』(岩波文庫版)より。
「先生と私」の25。
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先生は一時非常の読書家であったが、その後どういう訳か、前ほどこの方面に興味が働らかなくなったようだと、かつて奥さんから聞いた事があるのを、私はその時ふと思い出した。私は論文をよそにして、そぞろに口を開いた。
「先生は何故元のように書物に興味を有ち得ないんですか」
「何故という訳もありませんが。……つまり幾何本を読んでもそれほどえらくならないと思う所為でしょう。それから……」
「それから、まだあるんですか」
「まだあるというほどの理由ではないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥のように極が悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥ではないように見え出したものだから、つい無理にも本を読んで見ようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い込んだのです」
先生の言葉はむしろ平静であった。世間に背中を向けた人の苦味を帯びていなかっただけに、私にはそれほどの手応もなかった。私は先生を老い込んだとも思わない代わりに、偉いとも感心せずに帰った。
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