甘玉子小話 (五)
杖立温泉開湯1800年。
そんな歴史の中での一幕。
まつり屋のおばぁ、曾ばぁの時代の口伝えを頼りに、徒然なるままに・・・。
お付き合い下さいましてありがとうございます。
「さてと、今日は滞在さんが六組に新規さんが五組と・・・。」
毎日毎日お客さんに来ていただくことに感謝をしながらも、今夜の夕食の献立に頭を悩ませ、今日到着するお客さんの準備に追われながらも忙しそうにしている栄でる。
番頭の兵介がせっせと玄関先に水を撒き、調理場では板前の六さんが弟子の梅吉を大きな声でどなりちらしている。
数人いる仲居さんたちがパタパタと足音をできるだけさせないように努力して、板張りの廊下を小走りで行きかう。
栄がいつも居場所とするのはみんながよく見える調理場と玄関の間の狭い通路であった。
夕暮れに玄関から赤っぽい日が差し込み、顔を紅潮させてばたばたと働いているみんなを見ることができるこの時間帯が栄は大好きであった。
当然のごとく、忙しく、時間に追われ、余裕もないのだが、このお客さんが来る前のある種の緊張感と活気は他で感じることはできない。
ただ一人だけ、主の金衛門だけはいつもの調子でパチリパチリと碁を打っている。
それも湯元屋旅館のいつもの風景のようだ。
と、
「お久しぶり。」
「これはこれは河本先生、いつもごひいきにありがとうございます。」
二ヶ月に一回、だいたいいつも一回につき3泊から4泊で必ず一人で滞在する。
先生にもいろいろあるのだが、この先生、本当は何の先生だかわからない。
自称作家の先生ということになっているのだけれども、出筆した作品にひとつも出会ったことはない。
それでも栄とは馬が合うようで、先生、先生と親しげに呼んでいた。
「先生、今日は来るとわかってましたんで、大好きな大根の煮たのんと、茶碗蒸しを用意させてもろうちょります。でん今回は2泊だけですねー。お珍しい、忙しかつですか?都合がついたらま少し延ばすとでしょうね。」
この先生と呼ばれる御仁もまんざらではないようで、栄の応対に髭をピクリとさせにんまりと笑みを浮かべて、奥の座敷へと入っていった。
湯元屋旅館にはたくさんのおなじみさんと呼ばれる常連のお客がいたが、この河本という名の先生はどちらかというともう友達の感覚にも近くなっているくらいの存在になっていた。
しかも一人で滞在するので連れのお客さんに気を使うこともない。
いつかしらか栄は河本が滞在する内の一晩は必ずと言っていいほど、帳場に招いて金衛門と3人で好きな肴で、好きな燗で楽しい時を重ねている。
今回は2泊だけということなので、当然明日よりも今日といった具合だ。
「さっこさん。帳場に・・・。」
仲居頭にその旨を伝え、待っていると、やはり二つ返事であった。
最近栄の頭から離れない玄関での異感・・・。
相談をするにはうってつけの人物だと栄は思っていた。
金衛門にもその旨伝えるとうれしいのだろう、背中を向けているので顔はわからないが、碁を打つリズムが少しばかり小気味良くなっているように聞こえた。
パチリ、パチリ・・・。
少々飽きましたかね。
次回は三湯物語のプレイベントについてご連絡させていただくことにしましょう・・・。