甘玉子小話 (九)
・・・さい・しゅう・わ?
何ヶ月になりますかね・・・?
あくまでもふいくしょんですよ。
栄、袖、河本、他一名・・・は杖立温泉の代名詞とも言える共同の蒸し場に集まる。
この蒸し場は湯元屋旅館の裏にあり、近所の旅館は当然のこと、古くから湯治に来るお客さんも芋を蒸したり、菜っぱを入れたりして・・・。
路地裏にあるのだけれども、杖立住民、お客さん問わず、人が集う場になっていた。
井戸端ならぬ蒸し端会議・・・といったほうが古の情景が思い浮かぶのだろうか。

「先生、実際はどう作るとかわからんとやろ?」
「・・・詳しくわな。そりけど、食べた感じは栄さんとこの茶碗蒸しとえらく似とったで。」
「でも、甘かもんちゅうこっちゃきねー。じゅんちゃんどげ思う?」
「栄さん、私に聞いたっちゃだめですよ。」
「・・・。」
「とりあえず、甘かとだけん、だし汁はあわんじゃろな。ばってんそっからほんなこつどげしゅーか?」
「袖さん、あんたんとこは茶碗蒸しはどげ作ると?」
「うん、私んとこはまず玉子やろ、出し、醤油、それからお酒を少しぐらい・・・そんなとこかね。」
「やっぱあんまりは変わらんねー。」
「やっぱ滑らかなんははずせんけん、漉さなね。」
それぞれが、蒸し端会議で喧々、聴々・・・。
「一度は失敗してんなんか作ってみろーや。」
「ふんならまずは・・・」
「玉子、だしん代わりに・・・水。」
「味は・・・砂糖は高っかけんちっと甘かばってん“ミツゲン”ば入れちみろたい。」
「塩は・・・」
「そりゃーいらんやろ。」
「ばってん、あんこ作る時にゃたまに入るるやろもん。」
「まっ、今日はよかたいね。」
「さてと、なら作ってみよかいね。」
一同が落ち着いたところで湯元屋の調理場に場所を移し、言ったところを混ぜてみる。
「見た目、ぜんぜん茶碗蒸しと変わらんねー。」
「ほんなこつ、先生、こんぐらいで良かろうか?」
「もう私にはわからん。」
「・・・ならこれで一回してみるばい。時間は茶碗蒸しとおんなじで良かやろ。」
「蒸しにかけてみるばい。」
毎日のように蒸し場を使っているみんなだが、作る物が違うと同じ蒸し時間なのだがやたらと長く感じたりもする。
試しとは言いながらさすがに料理を作っているプライドもあり、少し落ち着かない雰囲気である。
一人を除けば・・・。
「さっ、どげんですかね。なんかわくわくするですねー。」
「あんた、いつも良かねー。こげん時はいつもニコニコしちょるし、調子も変わらんけんねー。」
「そろそろばい。」
「うん。」
・・・。
「・・・なんか感動せんね。やっぱ茶碗蒸しんごたるもんね。」
「・・・うん。」
「まっ、食べなわからんち。ちょっと食べてみよや。」
「・・・あらっ、けっこうおいしいやんね。ちょっと甘ぇつば入れすぎたごつぁるばってん。」
「冷えたらだいじょぶやろ、こんくらいが良かばい。」
「先生、こげな感じね。食べてみてん。」
「・・・おー、こんな感じ、そうそう・・・。黒っぽいのがかかっちょったんじゃが・・・。」
「なんね、餡子やないとやろ?黒蜜ね、なんね?」
「栄さん、あんまり真似せんでも良かたいね。後は自分たちで工夫ばせんとしょうがなかばい。」
「そうな、袖ちゃん。あんたの言うとおり、こしこできたつだけん後はどげんでもなるばい。」
「おたい、もう一つ頭ん中にあるったいねー。」
「なんね、袖ちゃん。」
「おたいね、かたくりで練ってみようかっち思うちょるとばってん。」
「・・・えらい良かとのできるっちゃなかですか。」
「うん、ならしてみよかねー。」
「栄さん、袖さん、私はなんばしたらよかつかねー?」
「うん、袖ちゃんのもすぐでくるごつぁるけん、みんなば集めちょって。じゅんちゃんとこにでけたらもっていくき。」
「はい、わかりました。急いで集めちょきます。」
「あん子はあいかわらず元気の良かねー。もうあげなとこまで行っちょるばい。あん子がおるき、勢いもつくっちゃろばってんねー、袖ちゃん。」
「ほんなこつ、おたいたちもがんばらなねー、栄ちゃん。」
この時代、本物のプリンを知る由もなく、口伝えで聞いたことを頭の中で膨らましながら、あーでもない、こーでもないと試行錯誤する二人。
だが、少しづつ自分たちの考える“甘味”というお客様をもてなす気持ちを代弁する形が見えてきたようだ。
「袖ちゃーん、できたな。おたいんとはでけたばい。」
「うん、おたいもでけた。」
「なら、じゅんちゃんとこに持っていこばい。」
栄も袖も一様に達成感を持ちつつもライバル心から、お互いに隣の人よりはいいものができたと自負していた。
この二人に共通している言葉“負けられん”はいつものことである。
「みんな、でけたばい。」
「おたいと栄さん、それぞれで作ってきたけん、二種類でけた。みんなで食べてみて。」
「あらーっ、よーでけちょるやんね。それが、ぷでんなんとかね?」
「うんにゃ、途中までは河本先生に聞きながら作りよったつばってん、最後んほうはわからんき、途中からは思うごつつくったったい。して、袖ちゃんのはほとんど自分で考えたつばい。よー作るばい。」
「さぁー、食べましょーや。おなか減ったー!」
「・・・。」
「はいはい、味見味見。」
「・・・はーっこりゃいいばい。甘かー。おいしかたい。」
「ほーこれば杖立に着いてからすぐ出したら喜ぶばい。疲れも取るるっち。ばってん・・・。」
「なんな。」
「作るとが難しかごたる・・・。」
「なんば言いよんね。作り方は教ゆったい。ばってんよー考えたら難しゅうせんでも甘かお菓子で良かっちゃなかね。あんたはだんご作りん上手じゃんね。」
「うん、おたいはだんごは作るとは好きばってん・・・やっぱこげなつも作ってみたか!」
「そうな。ならみんなでこればいっぺん作ってみろか。なん、あんまり難しかちゃなかったいねー。玉子と“ミツゲン”と水ば混ぜちから、蒸すだけじゃき。作り方は茶碗蒸しとそっくりたい。」
「こっちんつは玉子にサッカリンば入れちから練ったったい。してから、鍋に入れちやっぱ蒸したったい。そげんしたら上が平たーくなるやろ、して切ったったい。なんか噛んだの歯ざわりがいいやろ。」
「こん上からかかっちょるつはなんね。」
「こりゃカラメルちゅうて河本先生に調べてもろうたつばってん、おいしかやろ。」
「あんこでんあうごつぁるー。」
「ほんこつ、それでんいいかんしれんばい。どげなつがあうかわからんき、みんないっぺん帰ってからどっちでんいいき作ってみない。どうでんわからんときはおたいか、袖ちゃんとこに来ない。」
「ところでねー、栄ちゃん、これ、なんていう名前な?」
「・・・洋風ならプデングじゃろばってん、ほんとのプデングは食べたこつねえっちゃき違うかもしれん。」
「ほー、これから杖立んみんなで作るっちゃろ、ふんなら新しか名前をつけたらいいやんね。」
「ばってんみんなどげ作るかわからんし、いろいろ味もあるっちゃろ。」
「・・・。」
「・・・あの、いいですか。」
「なんな、じゅんちゃん。」
「わたしは旅館ねぇばってんいいですか・・・。」
「いいきん、言いない。」
「甘いつは決まっちょるってしょ。玉子を使こうて・・・、蒸す。こん三つを守ったらあとはなんでも良かっちゅうことにしたらいいちゃないですか?」
「そうなー、玉子、甘か味、蒸す。それでいこばい!ねーどげんなー。」
「どうでん出来んときは他んとでもいいやろ。」
「いちおうたい。いちおう・・・。」
「なら、名前は・・・玉子の甘蒸し・・・練る・・・甘・・・“甘玉子”。
「“甘玉子”はどげんな。あとは“甘練玉子”やら、“甘蒸玉子”やらなんでんつけらるるき。」
「良かやんねー。杖立名物“甘玉子”!」
「あれー、名物んできたばい。こりゃみんな張り切って作らなんばい。」
「そうなー、お客さんのためじゃきみんなでがんばらなんたいなー。」
「杖立行ったら甘玉子が食べらるるっち、早よ言わるるようにならなねー。」
「んなら、みんなわかったね、帰ったら作ってから、明日からはお客さんに出さなんばい。みーんなで出しよったら、絶対いつか評判になるきん、がんばるばい。」
「なら栄さん、また。」
「はい、おつかれさん!」
「おつかれさんでしたー!」
“軒下三寸 袖摺りあうも 背戸屋市”
小さな温泉街、杖立温泉。
開湯1800年とも言われているようだがそれは私にとっては確かめようのないことだし、あまり重要ではないような気がする。
私がここに書いていることは口伝えで聞く限り、少々の文献での知ったかぶり程度の知識のみ。
ただ、伝えたいことは・・・。
明治、大正、昭和、平成と変わることなく湯煙りが棚引き、滾々と湯が溢れる。
昔から見上げた背戸屋からの空が普遍的であるように、杖立人がここ訪れる人たちをもてなす心も昔から変わることはない。
栄さんや袖さん。
名前はたぶん違うのだろうけれどもそんな女将がいたからこそ、“甘玉子”の話がこの地に残っていた。
昔の人がそうであったように、今、杖立人はその先人の気持ちを大事にすることで“新しい繰り返し”を創める。
・・・杖立プリン伝説。
