あり得ないことが、(151)
これはフィクションです。実在の人物、団体等とは一切関係ありません。
女土方が議論を強制終了したのでその場はお開きとなった。そしてそれぞれ帰り支度を始めたが女土方だけが何となくフラストレーションの溜まった顔で立ち尽くしていた。
「自分には関係ないと思って勝手なことを言うんじゃないの。あんたがあいつの子供でも生んで見せたら私もあいつの手ぐらい握ってやってもいいわ。」
「ええ、やだあ、そんなの。私あの男には興味ないもん。」
「だったら勝手なことを言うんじゃないの。」
「私ねえ、」
今度はクレヨンが口を開いた。
「あなたに徹底的に押さえつけられていた時、あなたのこと本当に憎らしい女だと思ったわ。出来れば地下室か何かに鎖でつないで私の言うことを何でも聞くようになるまで犬みたいに鞭で叩いてやりたいと思ったわ。泣いて私の足を舐めて謝るまでそうして繋いでおきたいって。でもそれでもあの女は言うことを聞かないかも知れないって。」
僕は向かいに座っているクレヨンの耳をつかんで引っ張った。
「あんた、もう一度言ってごらんなさい。まさか今でもそんなばかなことを考えているのじゃないでしょうね。一体誰のおかげで今ここでお鮨なんか食べていられると思っているの。もう一度そんなことを言ったらあんたを鎖でつなぐわよ。あんたの家は部屋なんてたくさんあるんだから。いいわね。」
クレヨンは「そんなこともう言いません、何でも言うことを聞きます。痛い、痛い。」と悲鳴を上げた。手を離してやると「本当に野蛮人なんだから。暴力女。」と毒づいた。
「暴力で人の性格を変えようとしたり服従させようなんて許せないわ。」
女土方が真顔で言った。あまり調教にむきになるなんてそういうことをされた経験があるんだろうかなんて余計なことを考えてしまった。
「ほら見なさい。伊藤さんだって暴力で服従させようとしてはいけないと言っているじゃない。少しは考えなさいよ、あなたも。」
クレヨンはここぞとばかりに勝ち誇ったように言い放った。
「あんたの場合は放っておくと自己崩壊を起こすから性格改善をしているのよ。それも並みの方法では改善が望めないから非常手段に訴えているだけよ。法律でも違法性阻却事由ってあるのを知っているわけないわよね。とにかくいいのよ、あんたの場合は。多少の実力行使は。余計なことを言っているとまた食わすわよ。」
クレヨンは「ひっ」と言ってテキストエディターのお姉さんの後に身を隠した。
「二人は仲良しだから二人で話し合って決めなさい。さあそろそろ時間ね。ぼつぼつ行きましょう。」
女土方が立ち上がった。僕は躊躇う女土方を制して社長から預かっているクレジットカードで支払を済ませた。
「今日はエステもみんな奢ってあげるわよ。大船に乗った気で安心していてね。」
これまでほとんど使わなかったんだからかまうものか。これだけ迷惑をかけられているんだしクレヨンを監視している分クレヨンの無駄遣いが減ったんだから差し引きすればずい分プラスになっているはずだ。
鮨屋を出るとタクシーを拾ってエステのある銀座のはずれまで行くとあまり目立たないビルの中にあるエステサロンに足を踏み入れた。僕はこれまでエステなど行ったことがない。そこでどんなことが行われているかもあまり詳しくは知らない。いろいろな方法で顔や体のマッサージやケアをする所くらいの知識しかない。
大体男がこの手の場所に恒常的に出入りするのかどうかも分からない。女の体になってからも自分の体を他人の手に委ねたのは女土方を除けば病院で腹を切った時くらいで他には経験がない。
女土方はこのエステの常連らしくカウンターにいた女性とずい分親しげに話をしていた。他の二人もメニューを覗き込みながらああだこうだとずい分熱心に自分が受けるエステサービスについて話し合っていた。僕は受付の先にある時間待ち用のソファに腰を下ろして店内を見回していた。華美に走らずにお客が落ち着けるように配慮したインテリアはなかなかいい趣味でいかにも女土方お気に入りらしかった。
「ねえ、あなたはどうするの。私と一緒のコースで良いのかな。それとも何かお好みのがあるの。」
女土方が僕を振り返ったがそんなことを聞かれてもお好みなどあるはずもないので「一緒でいいわ。」と簡単に答えた。
ソファでアレルギーだの病気だの、それからこれまでのエステの経験などについて簡単なアンケートを書かされてから順番に個室へ呼ばれた。僕は一番最後だった。
「それではこれに着替えていただいて終ったら声をかけてください。」
若い女性のエステ師が袋に入った紙のトランクスを手渡してそう言った。