木曽三川 治水神社
宝暦治水に命を懸けた薩摩義士に感謝
今年のNHK大河ドラマは「篤姫」で、なかなか視聴率も好調のようです。
そんななか、薩摩藩島津家にゆかりのある史跡はちょっと気になるところですw。
幕末とは時代が異なりますが、治水神社を訪ねました。
治水神社は、木曽三川公園から南に伸びる千本松原に位置します。
宝暦治水工事(宝暦4(1754)〜5年)の総奉行、薩摩藩家老平田靱負(ひらたゆきえ)を祭神とし、昭和13年建立した社です。

【宝暦治水の薩摩義士伝】 について簡単に‥
昔より、木曽三川(木曽川、揖斐川、長良川)に囲まれるこの地方は絶えず水害を被り、治水の嘆願が続いていたが、特に慶長から宝暦にかけては毎年氾濫。
宝暦3年、ついに幕府は薩摩藩に御手伝普請を命ずる。
当時、財政難にあった薩摩藩ではあるが藩の存亡を懸けてその命に従うこととする。
宝暦4年、総奉行平田靱負は薩摩より総勢947名を出発させ工事に着手。難工事の連続と度重なる洪水に工事費は遥かに超過。また、幕府側監督の迫害や侮辱、工事の邪魔に耐えかね、抗議の自決をしたもの53名、疫病の流行で病没したものは33名に及んだ。
宝暦5年、平田靱負は藩主重年公に工事竣工報告をしたためた後、全責任を負って自刃した。
幕府の命令とはいえ遠く異郷の地を水害苦難から救った薩摩藩士の血と汗と涙の結晶は、今もこの地に語り継がれ、薩摩義士の偉業として称えられる大治水事業であった。
(以上、境内の由緒書きから抜粋)
(もう少し詳しく知りたい方は、検索かけると結構でてきますよ。)
宝暦治水と薩摩義士 ←おすすめです。
宝暦治水 薩摩義士伝 ←紙芝居風です。
平田靱負の言葉‥
「日本の国は顔は知らなくても皆兄弟である。兄弟の中で水に苦しむ者があると知ったら、どんな犠牲を払っても助けてやるのが、先祖以来培われた薩摩の仁義の精神である。」
当時の薩摩藩をとりまく内外の諸事情はあったと思うけど、こんな利害抜きの仕事って、後にも先にもないのではと思う。
※ちなみに‥
こちら(自分は名古屋)では、小学校の郷土の歴史の授業で、この治水工事のことを習います。
(↑今もそうだと思うのですが‥)
郷土の三英傑(信長、秀吉、家康)よりも先に、です。
遠足でも、ここ、千本松原にきましたよ。(ということで約25年ぶりに来たことになりますw。)
↓宝暦治水当時の三川の様子がわかる図。
これを見ただけでも三川分流がいかに困難かうかがえる。

↓千本松原: 宝暦治水工事の完成を期して、薩摩から取り寄せた日向松が千本植えられた。
当時は苗木であったとされるので、樹齢は250余年となる。

↓宝暦治水之碑
薩摩藩による宝暦治水の功績を後世に伝えるため、明治33年地元の有志により建てられた。
碑に刻まれた工事の様子には、思わず目頭が熱くなる。
当時幕府は寺が薩摩藩の死者を弔うことを禁じていたので位牌も墓標もなく葬られた。この碑に刻まれた義士伝をきっかけに、広く公の知るところとなったという。
現在は三川にほど近い各所に慰霊や菩提が散在している。

↓近代治水百年記念碑
三川分流工事における先人の功績と、治水の重要性が記される。
碑には、治水の恩人平田靱負とヨハネス・デ・レーケのレリーフがはめ込まれている。

