作家・村上龍は崎戸島に来ていた
村上龍氏の長編小説「半島を出でよ」
下巻・epilogue2に崎戸島が描かれています。
その経緯を勝手に推測しました。
炭鉱遺構などを望む高台に、故井上光晴文学碑がH16年9月に建てられています。
青少年期の多感な数年を崎戸で過ごし、炭鉱の町への思いは深く
「妊婦たちの明日」「地の群れ」など崎戸・長崎を舞台にした作品が多く残され
全国各地・十数か所に設けた文学伝習所が多くの人に影響を与えたと言われています。
もちろん、村上龍氏もそのうちの一人であり、全身小説家・井上光晴氏に敬意を表し
崎戸をお忍びで訪れ小説に残したのでは…と勝手に想像します。
以下、小説に書かれている崎戸島のくだりを紹介します。
崎戸島まで行くには四本の橋を通らなければならない。西彼杵半島に渡る西海橋、大島に渡る大島大橋と寺島大橋、それに中戸大橋だ。どの橋も特徴があり周囲の景観もすばらしかった。世良木容子はこれまで何度も祖父の代わりに崎戸を訪れたが、青い海と島の入り江の絶妙な組み合わせは変化に富んでいて飽きることがない。崎戸島は、江戸時代は捕鯨で栄え、明治末期から海底炭鉱の島として有名になった。海沿いの丘の上には廃墟になった炭鉱住宅があり、その一帯は記念公園になっている。現在の崎戸の基幹産業は九州でただ一つの製塩工場だ。その副産物のオリジナルのミネラル塩やミネラルウォーターは関西や関東でも売られている。
崎戸島は、炭鉱が閉山したあと開発が遅れた。だがそのせいで見事な自然が手つかずで残ることになった。炭鉱記念公園から見る港や役場など町の中心部の景色は心温まるものだった。ゆるやかなカーブの湾の内側に低い軒先の家々が見え、その向こう側には小高い山々が海を背景にし緑の輪郭を描いている。車の数も少なく、空気はどこまでも澄んでいた。役場や郵便局のある中心部の向こう側には海岸線が広がり、千畳敷と呼ばれる珍しい平らな岩盤の磯があった。千畳敷には三百メートル近い遊歩道が造られていて、潮風を受けながら海と周囲の小島の景観を楽しむ散策ができた。島の先端には干潮時には歩いて渡れる小島があり、その周囲は魚の宝庫で、中央部には可愛らしい小さな灯台があった。
(小説をそのまま抜粋)
小説家が活字にすると崎戸島はこう表現されるんだとの嬉しい思いと
的確な情景に間違いなく崎戸島を訪れているという確信が持てるくだりです。
井上光晴氏が影響を受け、村上龍氏が小説に書いた崎戸島を
みなさんもぜひ一度、訪れてみませんか…お待ちしています。

高台から望んだであろう入り江風景

井上光晴文学室:小中学生を対象にした井上光晴ポエム賞も設定されている。