日光戦場ヶ原ギャラリーA
いやあ、しくじったな。

せっかくの風景を皆さんに楽しんでもらおう、と沢山の写真を写してきたのに容量が大きすぎて収まらない。今のオイラにはこれを何とかする技術は無い。
まあこうしてしくじりながら覚えて行くんだろうなあ。
今風天は「感じる」と「考える」ことについて思いをめぐらせているんだ。
今朝目にした景色が時間が過ぎるのと平行するように色褪せていく。いったいそれは何故なんだ?
起き抜けの頭のなかにはまだ何にも入っていない。素直に感じ受け入れる事を堰き止めるものは無い。ところが情報が入り始めると考えてしまう。発信をしちまうんだるうな。
頭や心をがらんどうにしておく・・・・・難しいや、それはおそらく禅に繋がると思えるもの。無一物のなかに無尽蔵がある。
禅の心象風景とは起きてから考え出すまでの遮るもの何もなく受け入れる、受けとめる。そんな状態を持ち続けることなのか?
今朝の日光の青空のように晴れ渡って清々しい、そんな心の状態をいうのではないかな。
戦場ヶ原に佇む時間のなか口から出てきたのは「きれいだ」の一言だけでした。