小樽運河の歴史・前編〜建設計画から完成まで〜
小樽運河は埋め立て式の工法を採用されたといわれている。
本日と明日は、小樽運河の歴史について、お伝えしようと思います。
今回は小樽運河の建設計画から完成までをお届けします。

小樽運河の建設計画が始まったのは、1897年代(明治30年代)で、港の改良工事案が道庁に提出され、港の改良工事案は埠頭岸壁式と運河式という2つの案が浮上し、物議をされていたそうです。
1906年頃に(明治36年)に当時の小樽区が道庁に「小樽港改良工事の追願」を提出し、その文面によると「埠頭岸壁式」の工法を採り入れられると記していたらしいです。
道庁が小樽運河の工事の認可が降りたのは、1909年(明治42年)頃で、その時に欧米から港湾視察から帰国した小樽区の港湾修築事業の最高顧問を務めていた「広井勇」氏は、「小樽港の場合、貨物の種類、荷造りの方法などから見て、埠頭岸壁より艀(はしけ)を利用する運河式の方が便利だ」と、小樽区役所で開催されていた講演会でこのように述べたそうです。

当時の小樽区会は、広井氏の意見に賛成し、運河の建築工法を埠頭岸壁式から運河式に改められたそうで、設計の見直しはこの段階で3回目に当たったそうです。
1914年(大正3年)に5回目の運河の設計変更を経て、同年に運河の工事に着手されました。建設が着手されてから3年後の1917年(大正6年)に当時の小樽区会で過半数を占めていた「革新クラブ」の提案により、運河の設計変更が提案されるなど、運河の建設に当たり、さまざまな経過を辿ってきたといわれているそうです。
1923年(大正12年)の12月に小樽運河が完成し、運河の全長は1324m、運河の幅は40mで、運河の建設に架かった費用は190万円(当時)程掛かったそうです。
運河の建設に予定していた費用は、110万円で、予定されていた費用と比較すると倍近くの費用が投じられたといわれているそうです。
運河の建設について、かいつまんでご紹介してきました。
さて、明日の記事は、現在の運河が完成するまでの経緯をご紹介していきたいと思います。