小樽にゆかりのある作家
小樽は、著名な作家を輩出している街である。
本日は、小樽にゆかりのある作家についてご紹介したいと思います。

小樽公園内にある石川啄木の歌碑
★ 石川啄木(1886(明治〜1912)
石川啄木は、現在の岩手県盛岡市出身で、小樽日報社の記者として、1907年(明治40年)9月〜1908年(明治41年)1月までの間まで滞在されていました。
啄木の作品は「
小樽市にある石川啄木の歌碑は「JR小樽駅界隈」、「小樽公園」、「水天宮」の3箇所にあり、写真の歌碑は1951年(昭和26年)11月に建立された歌碑です。
小樽公園にある石川啄木の歌碑には、このように記されています。
こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なふと思ふ
この碑文は「一握の砂」の歌集の一節より収められた作品だそうです。
因みに、石川啄木が勤めていた小樽日報社の跡地は、JR小樽駅界隈にあり、この建物は札幌市厚別区にある「北海道開拓の村」内に展示されています。

伊藤 整文学碑
★ 伊藤 整(いとうせい:1905(明治35年)〜1969年(昭和44年))
1905年(明治35年)に北海道松前郡に生まれ、翌年の1906年(明治39年)に塩谷村(現在の小樽市塩谷)に移住し、小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)を卒業後、中学校教師を経て、東京商科大学に入学するが、文筆活動をするために中退、作品は火の鳥、霧氷など多数の作品があります。
伊藤整文学碑には、下記のように記されています。
私は浪の音を守歌にして眠る 騒がしく絶間なく 繰り返して語る灰色の年老いた浪 私は涙を涸れた凄愴なその物語りを つぎつぎに聞かされていて眠ってしまふ 私は白く崩れる波の穂を越えて 漂っている捨児だ 私の眺める空には 赤い夕映雲が流れてゆき そのあとへ星くづが一面に撒きちらされる ああこの美しい空の下で 海は私を揺さぶり上げ揺さぶり下げて 休むときもない
伊藤整の文学碑が建立されたのは、1970年(昭和45年)5月で、文学碑の碑文に使用されている石は「安山石」が使われているそうです。

小林多喜二 文学碑
★ 小林多喜二(1903(明治36年)〜1933年(昭和8年))
秋田県の貧しい農家の次男として生まれ、多喜二が4歳の時に小樽へ移住することになり、小樽商業学校(現在の小樽商業高校)を卒業し、小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)に入学。在籍した頃には雑誌に投稿したり、学校の校友会の編集委員として詩や短編作品を発表するなど、執筆活動をしていたといわれています。小樽高等商業学校を卒業した後に北海道拓殖銀行に入行。1930年に上京し、同年に治安維持法の疑いで逮捕され、1933年(昭和8年)に逮捕され、警察署内で拷問によって死去しました。
小林多喜二文学碑は、このように記されています。
「冬が近くなると ぼくはそのなつかしい国のことを考えて 深い感動に捉えられている そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある そこでは 人は重つ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いているぼくは何処を歩いていようが どの人を知っている 赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上がつている街を ぼくはどんなに愛しているか分からない」
この文学碑が建立されたのは、1965年(昭和40年)で、詩集「冬夜」という作品の中に「海の捨児」の冒頭の2連を抜粋した作品らしいです。
小林多喜二文学碑に記されている作品は、「1930年(昭和5年)に多喜二が治安維持法容疑で起訴され、刑務所の獄中から宛てた手紙の文章の一部から抜粋された」作品といわれています。
小樽は、さまざまな場所に文学碑や歌碑などがあり、この街は文学の街として知られています。
写真でご紹介した文学碑(歌碑)以外には、小田観螢(おだかんけい)、八田尚之などの作品があります。
小田観螢の作品については、春以降にご紹介する予定です。