「緑の倫理学」vol.1 文 中沢新一
雑誌「風の旅人」第7号より

「東北に住む私の友人に、<草木塔>という石の碑を森の中に立てる運動をしてきた人がいる。
大工の棟梁でもあるこの人は、東北の山々で長年にわたって木を切り出す仕事をしてきた出入りの林業家から、はじめて草木塔の話を聞いたという。

草木塔は、切り倒された樹木の霊を供養するための塔である。
狩猟で殺された動物たちの霊を供養するための供養塔というのは、いろいろなところに建てられている。

とくに<森の王者>でもあった熊の霊は強力であったので、熊を相手にしてきた猟師たちは、自分の殺した熊の霊の報復を恐れていた。
そこで東北の山村に行くと、ときどき<熊霊供養塔>というのに出くわすことがある。

それと同じように、山から木を切り出す作業をしてきた人たちは、樹木の霊の働きを感じて、どうしても<亡くなった>樹木の霊を供養しないではいられない気持ちになっていたのだという。

この話を聞いた私の友人は、ひどく感動して、自らこの草木塔をいろいろなところに建てることにした。
大工の棟梁として家を建てるためには、たくさんの<樹木の死体>を必要とする。

しかし、その樹木たちにはもともと生命もあり、魂もあったのであるから、動物と同じように、その霊を供養してやらなければならないという、強烈な気持ちがわきあがってきたのだった。

そうこうしているうちに、賛同者があらわれるようになった。
そのおかげで、最近では東北の山々のそこここで、この草木塔をみかけるようになった。

狩猟で殺された動物の霊を供養するための供養塔を建てようという、猟師たちの心の動きを観察してみると、そこに動物のなかに自分たちの<同類>を認めて、深い憐憫(ピティエ)の感情を抱いているのがわかる。

人間も動物も、同じ<感情をもった存在=有情>であるという認識をもって、人間と動物の間に本質的な違いを認めないという思考方法が、この猟師たちの心の中で動いているのである。」

(つづく)
賢治の学校・実習生 緑