働くアウトドアin愛林館! 森の中で一睡篇
お昼ごはんをたらふく食べた後、近くの異様な川を眺めたり、絵を描いたり、午後から場所を変えて間伐作業しっかり頑張ったり、仕事が終わった後みんなで手付かずの自然林でまったりしたり〜などなどです。

森の中にがさがさ入って下っていくと、そこには川がありました。
みずが紅いんです。
いや、手ですくってみてもみずは紅くありませんでした。
底の土壌が紅いんですね。
鉄分が豊富なんだということでした。
鉄・・・酸化して紅いのかぁ、鉄分欠乏してる動物(にんげんも)や植物には涎(よだれ)もんかな〜。でも、ありすぎはそれで、また有害ですもんね。
(バランスが大切)
この山に堆積している礫(れき)の層から鉄分が染み出しているのかしら。
飲んでみると、冷たくって少しどろりとした触感もありました。
鉱石の成分が多いのかもしれないです。
「僕の血は、鉄の味がする」 松本大洋〈ピンポン〉必読ッ!!(マンガです)

しゃがんだ川の傍でそらを見上げてみると、あしもとの川と同じようなかたちのひかりがありました。
だれかがそらを切り取って、そこから紅いひかりがやってきて川を染めたんだ・・・
ふわあぁ・・・ん。・・・まったりして夢うつつです。

次なる現場の作業後の風景です。
こう見ると、木の下方の露出した肌色ばかりが目立ってずいぶんたくさん間伐したようにも思えるのですが(じっさいいっぱい頑張りましたけどッ)、大体総数の三分の一弱ほどしか〈巻き枯らし〉していません。
そのくらいの空間があるほうが、単一樹木の*ニッチとしては立派に生育しやすいということなのでしょう。
*ニッチ・・・ある生物が適応した特有の生育場所、資源利用パターンのこと。
森のあしもとがむき出しなのが気になりました。

さあ、今日の任務は終了。
ご褒美に館長の方から自然林のままの森に連れて行ってもらえることになりました〜。
例の如く、軽トラの荷台が僕の特等席です。気持ちい〜な〜
「光る地面に竹が生え、青竹が生え・・・」で始まる萩原朔太郎の清涼な生命リズム詩「竹」を紹介したくなりましたが、以前のブログでも紹介した気もするので、今回はおあずけ〜です。

一つの山を降り、また違う山を登ります。
どこの山へのぼるにも、かならず棚田を通過する気がするほどに、里には稲が広がっています。
こんな景色の中に身を浸していると、なんだかほわほわ安心するのはどうしてなんだろう。
「知っていますか、あなたの足元、アンダーワールド。
美しい世界が広がっているのを・・・」
・・・RIPSLIMEが軽快な音にのせて詞をそらに蒔いていきました。
縄文末期以前の狩猟・採集の記憶を眠らせている、水田のその足元、一枚二枚三枚・・・と
丁寧にひっぺ換えしていけばきっと辿り着ける野性の温度。
煮えずに機を待つ、狩りと移動の衝動・・・。
僕たちはその磁場から溢れ出して萌芽する大地のエロスの灯火を用いて、仮の定住を試みてきているのではないだろうか・・・とイメージはおぼろげに輪郭を失っていきそうになる。

あたりの樹木が刻々とそらの形を変えていく。
樹木、あおそら、くも、ひかり。
がたごと揺れながら移動していく、荷台のつめたい感触。
ぎゅうぎゅうに乗り合いしている、土や、枝葉や、虫に食われて腫れ上がった肌や、竹酢液まみれの僕ら。
使い慣れた常連の道具たち。
排気音。
・・・・・・
見つめていた、そらを
見つめられていた、そらに

到着しました。
こちらが天然に更新されている自然林のなかです。
学術的にも生態系の貴重な調査対象であるらしく、どのくらいの頻度なのか分かりませんが、学者さんたちが時折入られたりもするそうです。
詳しいことは分かりませんが、極相に至った森は下草や低木の数が減り(光が底に届かないため)、樹木の現存量は増加しますが、樹木種数はむしろ減少するそうです。
漠然とした印象では、照葉樹の森としては中まで明るく、低木や若木の数も多いような気がしたので、まだ混交林から照葉樹林へと遷移の途上にある姿ではないかな・・・と思いました。
水俣の森は、綾の森と違い亜熱帯から亜寒帯まで幅広く樹種が揃っているらしい(高低さがあるため?)ので、ここも純粋な照葉樹の森ではないのかもしれません。
くうきがひんやりと涼しく、疲れたからだがぱちぱちと端っこから眼を覚まし、深呼吸を始めているような気がしました。

倒木した樹の上部から、枝がいっせいに列を組んで伸び上がっていました。
生存のチャンスがあれば、どんな場所をも利用するそのたくましさに胸が熱くなります。
伸び上がる枝枝が大きくなっていけば、おのずと元の樹は蓄えた養分を使い切って朽ちるか、重力に抗えずに折れてしまうかするでしょう。
その際にはまた新しい生存の淘汰が行なわれますが、それまでは彼らにとってここが住まいなんですね。

沢畑館長の提案で、参加者それぞれ相手が見えないところに散らばって、土壌の上に仰向けになり、眼を閉じて五分間過ごしてみようということになりました。
しずかに大地やまわりの生き物のようすに耳を傾けてみようという企画です。
・・・眼を閉じながら、生き物の声や、風が木の葉を揺らす音、ひかりが届いたり消えたりする感覚を楽しんでいました。
ひとのいる感覚が周りから遠ざかり、自分がひとである感覚もあいまいになって蕩(とろ)け出し、外界との境界線がうすれていくのは心地よいものです。
入ってくるものを遮るものがない。
出ていくのを引き止めるものがない。
常に流れのなか、強欲も執着も拒絶も排他も、ただの言葉でしかなくなる時間。
そんなひとときが多く訪れてくれる生をこそ、幸福と呼ぶのではないでしょうか。
眼を開けたときのそらが、こちらの空でした。

何がうえで何がしたで
誰がうえで誰がしたで
もう、何も定かなものはない。
規定された安心なルールがない。
木の葉の上で触れている背中から、にょきりにょきりと根っこが飛び出してくる。
地面に辿り着き、ぐさぐさと突き刺さり、そのままぐんぐんのめり込んでいく。
どんどん伸びる。
どんどん伸びる。
こんなとき、ことばは邪魔だ。
振りほどけるだけ、振りほどいてしまいたい。
そして、それでも湧いてくるものだけに、僕はいま、用がある。
ありがとう
抱えている多くの想いが養分となって、僕のからだを突き破り、あたらしいまなざしが芽生えてきますように・・・・
賢治の学校・実習生 緑
・みんなで声に出してみよう!!今日の「ありがとう」・・・
「 アイタ 」
エストニア語(北欧のエストニアなどで使用)