kasamiの小国ブログ

小国は熊本県の最北端、三方を大分県に囲まれた小さな町、小国。
農家レストラン、農村体験、自然体験などをご紹介していきます。

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男のスイーツ

2007年4月3日

記憶と記録

年度末ばたばたで3月の更新がほとんどできませんでした。
まあ、3月は60日ありますから、まだ年度末進行は続いています。

今回はほとんど外に出られませんでしたので、古いネタから
旧国鉄宮原線のことは何度か書いています。
廃線跡活用プロジェクトから始まり、幸野川橋梁の「竹筋探索」なんてことも
やってきました。

この廃線跡活用プロジェクトの中で地元の方から「宮原線の思い出」をいろいろ
聞き出しました。
「全線開通時に婦人会総出で踊りを踊った」
「小学生時代、列車を止めてものすごく怒られた」
「学校に行くとき、走って行くと少し待ってくれた」
など、いろいろな記憶を呼び起こすことができました。

では、宮原線の写真は・・・
というと、実はあまり残っていないんですね。
廃線になる時に記念に撮ったものが多く、日常の写真というのはあまり見つかり
ませんでした。
日常とは実はそんなことの繰り返しだったりします。
思い出だけで十分な場合もあります。

これまでの活動で一番思い出嬉しかったのは、絶対見つからないと思っていた
工事中の写真が見つかったこと。

持ち主は熊本市在住の方。
地元紙で宮原線の活用の話を見て、県庁を通じて提供していただきました。
お父さんがこの宮原線の工事責任者だったとのことで、膨大な写真が見つかりました。
学術的にもものすごい貴重な写真です。

その中から数枚ご紹介します。
 

 

建設は昭和12年〜14年にかけて。
日中戦争が始まり、鉄鋼の輸入も止まり戦時色が濃くなってきた時期でもあります。
物資不足の中、鉄道の橋梁も鉄橋からRCコンクリート造、そして無筋コンクリート
アーチ造になっていきます。
鉄道省令でスパン20m未満のコンクリートアーチ橋は無筋で造るよう、指示が出されました。

この「無筋」の指示に対する現場技術者の意向で竹筋が使われたようです。
工事記録にはありませんが、この写真を撮られた方も生前、竹筋を入れたと証言されていたようです。
竹筋を入れたのは国の礎を造るという土木技術者の矜恃でしょうか。
この宮原線の橋梁は70年経った今でも風雪、土砂災害にもびくともせずそこに在り続けています。

調査協力をしていただいた工学院大学の方のblogにはもっとマニアックな紹介がなされています。


2007年4月3日 12:32

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