京都大学 高坂会のホームページ

日本を代表する国際政治学者であり、熱狂的なトラキチ、そして、ちょっとだけタレントとしても活躍された故・高坂正尭先生の門下生(ゼミ生)で作る高坂会のホームページです。会員の交流&情報発信の場として利用させていただきます。世界各地を飛び回っている高坂先生の教え子の近況や今後の日本の針路に関する真剣な議論を公開させていただきます。


高坂先生13回忌・記念文集のお知らせ

2008年3月28日

高坂先生13回忌に寄せて[三宅 康之/大学院]

大学院からお世話になった三宅康之と申します。
素晴らしいご提案でしたので、先日お目にかかった佐古さんとも「これには応じるべし」ということになり、早速、書き上げました。
ひょっとして第一号では?


高坂先生13回忌に寄せて

三宅 康之(大学院)


世の中には「天才」と驚嘆するしかない存在がままあることに、どなたも異論はないと思います(ご本人にはご迷惑でしょうが)。ただ、ここで私がいう「天才」の定義はきわめて自己流で、「その著述を読むと頭がすっきりし、元気が出る」、というものです。現代中国研究者としての独断と偏見に基づき、最小限に絞って二名だけあげることが許されるのであれば、私は、20世紀の戦前と戦後の学術・言論界をリードした二人の「天才」、内藤湖南(1866.8−1934.6)と高坂先生をあげます。内藤湖南をすでにお読みの方には、二人の著述が上の定義を満たしていることに、さほど違和感なくご賛同いただけるのではないでしょうか(まだお読みでない方も、一読されましたら必ずそう思われるものと確信いたします)。なお、こうして書いていて気づきましたが、あたかもバトンタッチするかのように、湖南の没する一ヶ月ほど前の1934年5月に先生がお生まれになっています。

高坂先生にとって、直接の専門外である中国研究を志す私は、出来も悪くて、さぞかし扱いにくい存在だったと思います。しかし、大学院に進学する前後に「中国を地方から再構成する」と大言壮語を吐いて門を叩いた私を先生はなぜか温かく受け入れてくださいました。そして、研究室をお邪魔するたびに「あれはええで」と言いながら、坂野正高はじめ、近代中国に関する古典的著作を書架の片隅から取り出され、「読んだら返しといてな」と手渡してくださいました。そうしたなかで、特に薦められたのが、まさに内藤湖南だったのでした。進学してからのある日、「やはり内藤湖南がおもしろい」ということで話が一致しました。「そろそろ色眼鏡を外して論じられるべきだ」とおっしゃり、研究テーマの絞込みの前段階として著作や湖南に関する評論を読み直し、スクーリングの報告でも取り上げることになりました。しかし、当時の私には(今でも?)手に余る題材で、スクーリングもいつものような談論風発にもなりませんでした。かえすがえすも残念至極です。ちなみに、この一件に限らず、修士時代についてはあまりの出来の悪さに、今になっても甘い追憶に耽ることができずにおります。

とはいえ、この二人の「天才」の胸を借りてぶつかり稽古を続けてきた成果が(これまた思い返すも苦痛な)試行錯誤を重ねるうちに、だんだんとかたちになり、なんとか修士論文をまとめることができました。先生のお亡くなりになる一年前が私の博士課程の一年目(D1)にあたりました。このD1の年度には、門下の慣例どおり、初の公表論文を用意し、翌D2からの留学の準備を進めました。留学先の選択、推薦状から奨学金の手配まで、お世話になったことについても述べたいことが多いのですが、ここではこの年に出版された『平和と危機の構造』について一言だけ述べさせていただきます。同書では、末尾の方で、中国についてかなりまとまった議論が展開されています。そのなかでも内藤湖南に触れられていることをはじめ、(スクーリング後のランチを食べに出かけた帰り道の短い時間に)先生との会話に上った事柄が随処に確認され、ついでに書かれていないことまで思い出され、今もって懐かしく、まばゆい一冊です。

その後、D2の春休みには米国留学が決まりながらも、直接ご挨拶をする機会もないまま先生が亡くなられ、その一ヵ月後には私もアメリカに旅立ちました。以来、13回忌になる今に至るも、研究に疲れたり、迷いが生じたりするたびに、内藤湖南か高坂先生の著作を取り上げ、しばらく読みふけります。無心に読み終わると、知的爽快感が難しい中国問題に再挑戦する元気を呼び起こしてくれるためか、再び作業を続けることができるのです。

最後にどうしても触れておきたいのが、先生の没後に出版された『高坂正堯外交評論集』です。同書の最終論文「アジア・太平洋の安全保障」(1996年3月)の冒頭に付されたコメントの最後の文章は次の通りです。

「部分にも歴史にもとらわれない中国論の出現を、私は心から待ちわびている。」

このくだりを一読して、自らの力を省みず、これは先生が私に宛てて遺してくださった「宿題」である、と勝手に解釈し、研究の励みにしてまいりました。
 この「勘違い」のおかげでしょうか、拙著『中国・改革開放の政治経済学』を2006年に出版することができ、07年には大平正芳記念賞を頂戴いたしました。受賞後、生きておられたら高坂先生はなんとお声をかけてくださったでしょうね、と先輩方と話し合うことがありました。「三宅もようやくしっかりしてきたな」と莞爾と微笑んでいただけたでしょうか。それとも「次が大事や、しっかりせえよ」と叱咤激励してくださったでしょうか。
答えは当然出ませんが、今後も、内藤湖南や高坂先生の著作を折に触れて読み返し、「天才」との「対話」を重ねつつ、私なりの中国論の構築に精進してまいる所存です。

(愛知県立大学外国語学部准教授)


2008年3月28日 14:23

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