便利になるほど、人は退化する
便利なツールができるたびに、人間はまた何か一つできないことが増えていく…。
今日はちょっとまじめに仕事の話をします。
しばらく前に、子供服の安全基準に関するガイドラインが業界で作成されました。法的な規制ではありませんが、作る側が注意して、子供たちを事故から守りましょう、というものです。
例えば、フードの紐などは、引っ掛かって首を絞めることが無いように短くするとか、装飾的なリボンのようなものは、巻き込み事故を防ぐための取れやすくする、といった類です。
大人がいろいろ気を使ってくれるので、子供たちは安心というものです。
でも、ホントにそれでいいのでしょうか?
子供たちはますます不器用で、何も考えなくても良いようになっていくのではないでしょうか。
日本も段々訴訟社会になってきて、事故が起きるとメーカーや他者に責任があると追求されるようになりました。自分の安全は自分で確保するものでなく、与えてもらうものになりました。今、ナイフで鉛筆を削ることのできる子供はほとんどいないでしょう。鉛筆削りがナイフに取って代わり、今では鉛筆でなく、シャープペンシルを使っている子供がほとんどだと思います。芯を削る手間はなくなりましたが、ナイフを上手に使って鉛筆を削るということができなくなりました。それとともに、ナイフで指を切ることもなくなり、ナイフを使って作業するときの怖さを知らなくなりました。
人間がやっていたことを代わりにしてくれる便利さに人は勝てません。今では算盤が事務所から消えてしまいました。電卓やパソコンで難しい計算がより速くできてしまいます。でも、おかげで人間は計算能力を失いました。パソコンやケータイで文章ができることによって、文字を書く機会がめっきり減り、漢字が書けなくなりました。あげたら、限がありませんが、すべて人が便利さの代償として、差し出してしまったものです。