純情きらり!パート03 奥殿陣屋
近代茶道の祖といわれる玄々斎宗室(げんげんさいそうしつ)誕生の碑の地でもある。
裏千家とも言われ、誰にでも「お茶」を楽しめるようにもなった。
千家3代宗旦は、不審菴を三男江岑宗左に譲り、敷地内に新たに茶室を建てて隠居し、四男仙叟宗室と共に移り住んだ。このときの茶室は今日庵(一畳台目)、利休四畳半を再現した又隠、寒雲亭(八畳)であり、これらがすべて宗室に譲られたことにより裏千家が成立する。
4代仙叟宗室は寛永19年(1642年)に加賀前田家の当時すでに隠居であった前田利常に仕官し、二百石と小松城三の丸の屋敷を与えられた。万治元年(1658年)に前田利常と元伯宗旦が相次いで没すると、裏千家の4代を継承し、寛文11年(1671年)に前田綱紀に茶頭として仕官して百五十石と金沢城下の味噌蔵町の屋敷を与えられた。
11代玄々斎精中は10代認得斎柏叟の女婿として10歳のときに奥殿藩松平家から養子に入った人である。それまでの歴代が禅的消極的であったのに対し、茶道以外にも華道、香道、謡曲などに通じていて、茶箱点や立礼式の創始、和巾点の復興など、明朗で積極的な人であった。立礼式は明治5年(1872年)の博覧会に際して外国人を迎えるための創案であり、また同じ年に『茶道の源意』を著して茶道は遊芸とする風潮を批判するなど、幕末から明治の変動の時代に合わせた茶道の近代化の先駆として評価されている。
こうして見ていると越前と三河とのかかわり方が面白い。
(Wikipediaから参考にしました。)
一番上の木刀が天然理心流で使われた物に似ている。
掛け軸の下に玄々斎が使用した茶器等があった。
この瓦は何人の人を見てきたのだろう?
「純情きらり」のロケ地、やっと出てきました。
こちらがから出てきた。表門である。このあとパーキングまで
歩きました。帰りに見たものは?
kira kira oda kazumasa