原動機で伝えたい記(嬉写)

今までの原動機の思い出と現在の原動機とを綴りまぜ、旅先での思い出。


家康を訪ねて 其の四 菩提寺 完結

2008年10月8日

浄瑠璃姫伝説

義経にはもう一人恋人がいた。静御前だけだと思っていたが、もう一人居たとは、岡崎とどういう縁なのだろう?

1174年に、義経は東北地方の藤原秀衛を頼って旅を続ける途中、

矢作の里を訪れた。記録されています。当時は、頼朝から追われ、

越前の方へ向かったと言われていますが、地理から言えば、岡崎

とは反対方向になる。なぜ尾張の方へ足が向いたのか、疑問に

思っています。この事実が本当なのか、嘘なのかわかりません。

 

 

 

 

 

 

 

    http://nokold.hp.infoseek.co.jp/jyoruridensetu.htm

上のサイトに詳しく解説されています。こちらで解説を読んでください。

 


2008年10月8日 19:40

コメント

LUXEL [2008年10月8日 21:19
こんばんは(〃▽〃)ノ
triplesix6さんがご紹介してくれたリンク先を拝見したら、1枚目のお写真に写っている建物は、誓願寺十王堂と名称があるようで、建物の造りを見ると、こじんまりとしていながらも威厳のある雰囲気が漂いそうです。
義経が岡崎市に縁があることを知ったのは、初めてで、道が険しかったと言われている旧東海道を超えて、この地に訪ねたと思いますが、義経もきっと、この地に辿り着くまで、凄く大変だったと思います。
このお寺の中に祀られているお地蔵さんの雰囲気が独特だと思いました。

Y's [2008年10月8日 22:11
こんばんわ。
「浄瑠璃姫伝説」、初めて聞きました。
義経位、有名人になると昔からいろいろな伝説が生まれたような気が致します。
鎌倉に近い東海道、或いは中山道を通ることは考え難いと思いますが、
このような史跡まであり、不思議さを感じました。(^^)y

triplesix6 [2008年10月9日 19:50
こんばんわ!LUXELさんとY'sさん。
コメントが重なる部分が重なります。
同じコメントでごめんなさい。
堂の扉は自由に開けても良く、中の写真を撮らせていただきました。中の像も、どれも個性があり、素晴らしいものです。
私も洞察して見ますと、京都から滋賀に抜けるのに逢坂山があり、この山も険しく、山賊の多い山でした。また、滋賀から三重に抜けるにしても、鈴鹿山脈があり、ここも険しい山と山賊です。
これらの険しい山並みがありながら、愛知の方へ廻ってしまった。余程の事情がなければ行けなかったと思います。それだけ頼朝の勢力が強かったかも知れませんね!

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