わたしの自動車史(後編) ― 西川 淳 ―

トヨタ セリカXX(1981年)

初めての愛車は、セリカXXだった。
大学1年の春に免許を取り、中古車雑誌を買いあさった。子供のころからあれだけクルマが好きで、国産スポーツカーからスーパーカーまでいろんなクルマを知っていたはず、なのに、いざ、自分のクルマを決めるとなると、大いに迷ったものだ。
小学生のころに、カウンタックではなく、ベルリネッタボクサーを買うぞ!と既に“決めていた”ボクにとって、買えそうなクルマのなかに欲しくてたまらないクルマがなかった、のだと思う。今のボクが、あの頃のボクにアドバイスできるとしたならば、親に借金してでも安いうちに2000GTやハコスカGT-Rといった国産のスーパースターを買っておけ、と言ってやるのだが……。

家のクルマはオートマのラングレーだった。例の叔父はそのときマニュアルのローレルで、違う叔父はスカイラインジャパンに乗っていた。だから、ボクは何となく日産党だったのだと思う。魅力的なスポーティータイプのモデルがたくさんあるという点で、確かに日産は今でもそうだし、昔はもっとそうだった。
狙いを、フェアレディZの中古に絞って中古車ショップをうろつきはじめる。当時、学生の身分で買えそうなZといえば、S130の初期型だった。Z31デビューの頃である。再び現代のボクがもし彼のそばに立てるのなら、「安いS30の2シーターを買っておけ」、と耳打ちしてやるのだけれど、あいにく、その頃のボクは、スーパーカーを別にして、否、ひょっとするとスーパーカーでさえも卒業気分で、古いクルマになどほとんど興味がわかなかった。

日曜日になると、ローレルの叔父にせがんで、一緒に大阪の有名店を巡った。ある日、Zの専門店まであと数百メートルという交差点で、ボクらは止まった。その角の中古車屋に並んでいた赤いスポーツカーに、ボクの目はくぎ付けになった。
それが、セリカXXだった。リトラクタブルライトになった2代目だ。予算をはるかにオーバーしていたけれども、月賦で買うことにした。一目ぼれだったのだ。
それは前期型の赤黒ツートンで、青いボクにはスーパーカーにさえ見えた。人生初めてのクルマというやつは、一生、自分にとってのスーパーカーなんだと思う。

こうして、ボクのクルマ人生ははじまった。初めてのガイシャは2代目ゴルフ、初めての4ドア3ボックスセダンはボルボ264、初めてのオープンカーはビート、初めてのスーパーカーは初志貫徹のフェラーリBBだった。最近でいえば、もう2年前のことだけれども、初めてSUVを買った。ずっと憧れていた、オトコのワイルドネス、ジムニーシエラだ。
今までに80台以上乗り継いできたけれども、国産車と輸入車の割合はほぼ半々だと思う。熱烈なスカイラインファンで、R30からV36まで、GT-Rを含めて、乗り継いできたことが大きい。次はどうかな、微妙だな……。

それにしても、まだまだ、“初めて”のクルマは残っている。ミニバンを買うことはたぶん一生ない。けれども、(ハイパワーの)ステーションワゴンとは一度くらいつき合ってみたいし、ハイブリッドもEV(電気自動車)も、そしてFCEV(燃料電池車)だって、愛車にしてみたい。そのときには、胸を張って、初めての戦前ヴィンテージにもトライしたいなぁ。その前に、初めての50年代や60年代も手に入れなきゃ……。
いろんなクルマを楽しまなきゃソン。これは、この時代に生まれたボクらの特権でもあるのだ。

アレも欲しい、コレも欲しい。そんな精神構造は、ミニカーをねだった子供の頃と、ほとんど変わっていない。クルマ好きは、それでいい。そんな夢想を楽しむ毎日、人生最後のクルマはポルシェ911のマニュアルだと決めている。

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[ガズ―編集部]