わたしの自動車史(前編) ― 竹岡 圭 ―

竹岡 圭 (プロフィール)
自動車専門誌はもちろん、女性誌やインターネット媒体、テレビ、ラジオなど、幅広いフィールドで活躍するモータージャーナリスト。自動車関連のイベントプロデュース会社勤務を経て独立。執筆活動やリポーター業に加え、ドライビングスクールのインストラクターやイベントでの講演なども積極的に行っている。
多摩テックは、東京都日野市にあったレジャー施設。モータースポーツをテーマにした各種アトラクションで人気を博した。
トヨタ・カリーナ ハードトップ
ポルシェ944

東京都港区南青山6丁目。六本木通りと骨董通りに挟まれた一画。なんていうと、ものすごくリッチな都会に聞こえますが、中身は1階がガレージ、2階が事務所、3階がファミリー向け社宅、4階が独身向け社宅&屋上の小さなビル。その中の6畳2間+2畳のキッチン+トイレ。お風呂は共同風呂。というのが、私が生まれてから小学校1年生まで過ごした社宅でした。

3階の社宅の窓の下はガソリンスタンドで、そこに出入りするクルマや六本木通りを行き交うクルマたちを眺めながら過ごし、夜は「パララ、パラララ、パララララ~」という、『ゴッドファーザー』のテーマのホーンを響かせる暴走族の音色を聴きながら眠りにつく日々。たぶん、目の玉が飛び出るような高級車も行き交っていたんだと思いますが、当時は仮面ライダーV3に恋していたせいか、フツーのクルマにはさして興味もなかったんですよね。わが家にはクルマもなかったですし、親戚のクルマに乗せてもらうたびにクルマ酔いするので、どちらかというとフツーのクルマは苦手分野だったのかもしれません。

というのも、思い出せる限り一番初めに感動したクルマは除雪車なんですよ。私の父は、除雪車や道路建設用車のメーカーで営業マンをしていたのですが、ある時その出張に連れていってもらったことがあったんです。その時乗せてもらった除雪車の大きさと迫力に、ものすご~く魅入られちゃって。その後から、社宅の1階の簡易修理などを行うガレージに忍び込むようになり、よく怒られました。油で汚れた手を洗う工業用の手洗い石鹸(せっけん)、ピンク色の粉のユーゲル石鹸が、色もカワイイし手触りもフワフワで気持ちよくて、砂場の砂でお団子を作るようにユーゲル石鹸で遊んでは怒られていたのを思い出します。

その後、杉並区に引っ越しまして、小学校3年生くらいだったかな?ある日連れていってもらった多摩テックで、私の中のクルマ好き魂が目覚めることになります。多摩テックって、結構本格的なゴーカートがあるんですが、それを操るのがなんとも楽しくて。乗り物を操縦するってこんなに楽しいんだ!ということを、知ってしまったんです。とはいえ、わが家はいわゆる庶民だった上に、競技用カートというものの存在なんてまったく知らないような家でしたから、たまに多摩テックにいって楽しむだけだったんですけどね。

ちなみにわが家にマイカーがやってきたのもその頃。4人家族のファミリーカーとしては、まったくふさわしくない中古のトヨタ・カリーナ ハードトップだったんですが、Bピラーレスの窓がカッコよくてね。リアシートの足元部分を埋める、空気を入れて膨らませるクッションみたいなものを置いて、シートベルトって何の話?って具合に、弟と2人コロコロと転がって乗ってました。早く運転したいなぁ~と、ひそかに思いながら。

そして中学生になり、ある日運命の出会いをするわけです。そのクルマはポルシェ944。あのシルエットとリトラクタブルヘッドランプに一発でハートを射ぬかれちゃったんですよねぇ~。

【編集協力・素材提供】
(株)webCG http://www.webcg.net/

[ガズ―編集部]