チーフエンジニアの家計簿 [3代目ヴィッツ 山本博文チーフエンジニア](2/2)

世界で勝負できるクルマを作る

3代目ヴィッツの開発がスタートしたのは約4年前のこと。そして、2年半前から私がチーフエンジニアになりました。周囲からは「大変だね。がんばってね」と半ば同情のような激励をもらいました(笑)。
当初は「果たして自分に務まるのか?」という不安もありましたが、ヴィッツ(ヤリス)はカローラ、カムリに次いで、世界各国で生産され販売されているクルマです。そんなクルマの開発ができるチャンスはなかなかあるものではありません。また、ヴィッツ(ヤリス)は初代の開発から何らかの形で関わってきたとても愛着のあるクルマです。フランスで生産した初代ヤリスも担当しましたし、2代目もチーフエンジニア付きとして途中から開発に参加しています。ですから、「3代目ヴィッツのチーフエンジニアは自分がやるしかない。世界の市場で勝負できるクルマを作ろう」と腹を決めました。
外形意匠については、これまで国内では比較的女性のユーザーを意識したデザインと評価されていたものをよりダイナミックで精悍な、性別を問わないデザインへと大きく変更しています。全高は現行比で20ミリ下げ、全長は100ミリ、ホイルベースは50ミリ伸ばしています。空力と安定性を磨き上げたうえに、上質で躍動感にあふれ、踏ん張り感もあって、きびきびとした走りを予感させるものに仕上がったと自負しています。
内装は「情緒ある造形」と「スポーティな演出」をテーマに大胆に変更しています。2代目ヴィッツはインパネ部分がタテ基調のレイアウトになっていましたが、これをヨコ基調に変え、インパネから左右ドアトリムまでつながるようにパッドを配置し、室内の広さと上質さを演出しています。また、スポーティなドライビングポジションの追求から、これまでヴィッツの代名詞でもあったセンターメーターをやめて、運転席正面にメーターをレイアウト。ドライバーを主役にするドライビング環境をつくりあげています。さらに、これまで弱点とされていたリア部のラゲッジスペースを大幅に拡充。現行比で奥行きを145ミリ広げ、5名乗車時で開口幅930ミリ×奥行き710ミリの荷室は国内のクラストップレベルの広さを確保しています。
また、操縦安定性の面ではホイルベースの拡張に加え、ボデー剛性を上げ、バネやアブソーバー、タイヤなどのチューニングによって、これまで課題とされていたコンパクトカー特有のふわふわ感、ひょこひょこ感を解消。路面をしっかりと捉え、安定してきびきび走るアジリティ(俊敏性)を実現しています。
さらに燃費性能では、スマートストップを採用し、1.3Lで26.5キロ/Lを実現。ハイブリッドを除けば、これもクラストップの燃費性能に仕上げています。もちろん、信号などで停止した際のエンジン始動も素早く静かで走り出しも滑らか。エンジン停止に違和感やストレスを感じることなく運転できます。
その他、女性がうれしい装備として、フロントガラスに紫外線カット約99%という世界初のスーパーUVカットガラスを採用したのも大きな特長です。

やりくり上手の良妻賢母

3代目ヴィッツの写真
もちろん衝突安全性などその他の要素をすべて見直し、向上させていることはいうまでもありません。こんなふうに3代目ヴィッツは、私としては、現時点で世界最高のコンパクトカーに仕上がったと自負しています。新型ヴィッツはカローラやカムリなど上のCセグメトからのダウンサイジングのニーズにもしっかり対応した上質なワンランク上のコンパクトカーを、世界に向けて提案しています。
もっとも開発をスタートした当初から、ここがゴールだったわけではありません。プリウスのようなまったく新しいクルマであれば、最初にゴールを決めて後はひたすらそこを目指していくという開発になりますが、ライバルのひしめくコンパクトカーの開発はそうはいきません。ライバル車が新しく登場すると、当然のようにそれを上回ることが求められ、目標はどんどん上方修正されていきます。とくにヴィッツ(ヤリス)の場合、欧州で40%、北米、アジアなどを含め、海外で80%以上が生産・販売されているクルマですから、国内メーカーだけでなくプジョーやフォード、シトロエン、VWなど世界中のコンパクトカーがベンチマークの対象になります。今回の外形意匠も何度もやり直し、欧州の街並みを走った時にライバル車と比べて見劣りしてないかなど、様々な観点で修正が入りました。最終的に現在の意匠に決まったのは09年の春でした。
ライバル車を徹底的に評価し、もし負けている点があればそれを越えるものにしていく。しかも、車両価格が高くならないよう限られた予算の中で、いかに表現するかが求められる。それがコンパクトカーの開発です。当然ながら、何かを犠牲にして何かを実現するようなトレードオフの考え方は許されません。たとえば、燃費向上のためにアイドリングストップを採用するとしても、それによってドライバーが違和感やストレスを感じるようでは採用する意味がありません。
もちろん、すでに開発が始まっている段階で目標が変わるわけですから、それぞれのチームに伝え、納得してもらって仕事を進めていく調整はとても大変です。そして、ハードルをクリアするために社内を走り回って、新しい技術を探して、それを先出しで採用できるように交渉する。予算をやりくりしてそのための原価を捻出する。そしてみんなの力でそのハードルを越えた時の歓びはひとしおです。越えるべきハードルが多いほど、歓びは多い。それがコンパクトカーを開発する醍醐味だと思います。
私自身は、大きな夢を描き、チームをぐいぐい引っ張っていくタイプのチーフエンジニアというよりも、より現実的で調整型の、やりくり上手な良妻賢母型だと思っていますがそういうタイプの方がコンパクトカーの開発には向いているようです。
幸い私の場合、アイデアが尽きて行き詰まるということは少なくて、どちらかというといくつかある選択肢の中からどれを選ぶのかということに悩むことが多いですね。新型ヴィッツはそんなたくさんの選択と決断のうえにでき上がったクルマです。「人事を尽くして天命を待つ」というのが私のモットーですが、果たしてこのクルマが世界中の人からどういう評価を受けるのか? 楽しみでもあり、正直、ドキドキしています。
また、これから生産に入るわけですが、いかにそれをトラブルがなくスムーズに立ち上げることができるのか、という課題に取り組み、さらには、これから欧州を初めとした海外向けの開発が続きます。今度は新型ヴィッツが海外のライバルからベンチマークされる対象になるわけですから、まだまだ競争は続きます。新車発表を終えても、まだまだ気が抜けません。きっと定年になるまで、ずっとこれが続くことでしょう。貧乏性でM気質、それが私の性分なんです(笑)。

( 文:宮崎秀敏 (株式会社ネクスト・ワン) )

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