【モータースポーツ大百科】ル・マン24時間耐久レース(前編)

史上初めて開催されたモータースポーツ・イベントは、1894年のパリ-ルーアンだったとされる。つまり、モータースポーツの起源はフランスにあったのである。また、世界で初めて“グランプリ”の名が与えられたレースが1906年のフランス・グランプリ(AFCグランプリ)だったことも、フランスとモータースポーツの深い絆を示すものといえるだろう。実は、この第1回フランスGPの会場はサルト県に設けられたもので、運営にあたったのはサルト自動車クラブだった。サルト県の県庁所在地はル・マン市、そしてル・マン24時間耐久レースを主催する西部自動車クラブの前身がサルト自動車クラブだったと聞けば、いまから90年以上も前の1923年に、サルトの地で世界初の24時間レースが開催されたという話も納得できるだろう。

1923年に開催された第1回ル・マン24時間耐久レースのポスター。

このイベントが企画された目的は、一部のマニアだけでなく、広く一般の人々にレースの魅力を伝えることだった。20世紀に入ると、各自動車メーカーは競技専用のレーシングカーをモータースポーツに投入するようになったが、それらは一般の人々には手が届かないもの、手におえないものばかりであり、これがモータースポーツが広く関心を集めることのできない理由のひとつとされていた。そこで、極端な性能のレーシングカーではなく、普通に購入できる自動車でレースを行うことが提案されたのである。
もっとも、そうした自動車はスピードもたいして出なければ見た目も地味。そこで考えられたのが、24時間連続でレースを行い、この間にもっとも長い距離を走行したマシンとドライバーをウィナーにするというものだった。

1922年のグランプリレースで活躍したフィアット804-404コルサ。グランプリで活躍するレーシングカーは各社が技術の粋を集めて開発したものばかりで、価格的にも性能的にも、一般の顧客が手を出せるようなものではなかった。

このアイデアにはいくつものメリットがあった。当時は自動車が誕生して40年近い歳月が過ぎていたものの、まだその信頼性や高速性能はそれほど確立されたものではなかった。このため、自動車メーカーにとってはこのレースで優勝することが、そうした性能をアピールするまたとない機会となったのだ。また、コースには照明設備がほとんど設けられなかったため、競技車は自車に取り付けたヘッドライトを頼りに走らなければいけなかった。これがヘッドライトの性能向上を招くことになった。

1930年大会の様子。コース上でベントレーのティム・バーキンが、ダメージを負った車両の修理を行っている。

そのほかにも、現在まで受け継がれているさまざまな伝統が、このル・マン24時間の創設期に誕生している。例えば、レース中のトラブルはドライバーが車載の工具で修理しなければいけないこと(ピットは除く)や、昼夜を問わず観客を飽きさせないために遊園地などを設けたことはその最たるものだ。

もうひとつ忘れるわけにいかないのがサルト・サーキットのことだろう。このレースはル・マンの名を冠することからル・マン市内だけで行われていると思われがちだが、実際にはル・マン市に隣接するアルナージュ村やミュルサンヌ村にまたがる公道を用いており、その距離は創生期のもので17.262kmに及んだ。現在ではその北側の角を削った形に改めているが、ル・マン、アルナージュ、ミュルサンヌにまたがる基本形を残したまま全長13.629kmと、現役の国際コースとしてはニュルブルクリンク・ノルドシュライフェに次ぐ長さとなっている。

1920年代のコースの様子。今日でもル・マンは、常設のサーキットコースと一般道をつないだコースで行われている。

次回からはおよそ90年に及ぶその競技の歴史を振り返ることにしよう。

(文=大谷達也)

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[ガズ―編集部]

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