【ミュージアム探訪】 日野オートプラザ(後編)

それでは、展示物の内容をより詳しく見ていこう。エントランスで来館者を出迎えるTGE(Tokyo Gas Electric)-A型は、日野自動車の前身、東京瓦斯電気工業が1917年に手がけた国内初の量産型トラックで、61台が生産された。展示されているTGE-A型はレプリカではあるが、フロントアクスルを固定させるために“紐(ひも)”を用いるところまで忠実に再現されている。2008年には、幕末から昭和初期にかけての製造物を後世に残すことを目的に制定された、経済産業省の近代化産業遺産にも登録されている。またこの展示車両は、八王子いちょう祭りの際に開催されるクラシックカーイベントにも参加したことがあるという。

国産の量産トラック第1号となったTGE-A型。展示車両はレプリカだが、燃焼式のヘッドランプやフロントアクスルの固定に用いられた紐(ひも)などから、当時の技術をうかがい知ることができる。

さて、続いては20年弱の短期間のみ生産された、乗用車と小型商用車に目を向けてみよう。日野自動車はフランスのルノーと業務提携を結び、1953年から4CVの部品を輸入して国内で組み立て生産を開始。1957年には完全国産化を達成した。生産初期のフロントマスクのバーは6本であったが、その後3本に改められ、またグリル形状も日野独自のものに変更して生産したという。当時はタクシーとして大いに重宝され、“神風タクシー”とも呼ばれていた。展示車両は3本に改良された後のものである。

戦後、日野がノックダウン生産を通して復興と技術革新を図った時代の“生き証人”である日野ルノー4CV。

さらにこのホールで注目すべきはコンテッサ900スプリントだ。イタリアのデザイナー、ジョバンニ・ミケロッティの手になるもので、日野が次期乗用車のデザインを依頼し、試作車が作成された。当時のトリノショーにも展示され話題となったこのクルマは、第10回全日本自動車ショーにも展示された。1963年の日本に舞い降りたこの貴婦人、いまの目で見ても新鮮で美しいデザインをまとっている。

ジョバンニ・ミケロッティによってデザインされた試作車の日野コンテッサ900スプリント。

そのほかにも、フロントエンジンフロントドライブの商用車、コンマースをはじめ、自社開発のコンテッサ900,1300クーペ、東南アジアで主にタクシーとして活躍したオート三輪のハスラーなどが展示されている。
またエンジン単体では、1963年の水平対向12気筒エンジンであるDS120型から、コモンレール式電子制御高圧燃料噴射システムを採用したJ08C/J08Eエンジンまで7基が展示され、エンジン技術の向上とともに、コンパクト化が進んでいったことが一目でわかるようになっている。

クルマ以外の展示が充実していることは前編でも書いたが、特筆すべきは戦前の航空機エンジンが充実していることだ。いずれも東京瓦斯電気工業の手になるもの、あるいは関係するものだ。例えば、1920年のル・ローン80馬力は、エンジン単体がプロペラと一体で回るロータリー式の航空機エンジンで、日本陸軍がフランスのグノーム・ローン社からライセンスを買い取って、1920年から1930年にかけて月産15台ほどが生産された。これをベースに神風や天風などといった同社の空冷星型エンジンが生まれたのだ。

黎明(れいめい)期のエンジンのコーナーに展示された、戦前の航空機用エンジン。ル・ローン80馬力や、初風、天風などに加え、中嶋飛行機製の光、航研機のエンジンのベースとなった液冷V12型エンジンなども展示されていた。

これらの展示と解説、そして年表等を参考にすると、1900年代初期から現在に至る日本の産業史、特に第2次世界大戦前後の技術的実績の積み重ねが、どれほど現代に生かされているかがわかってくる。そういったことについて、2階にあるカフェシャノンで一息つきながら、当時に思いをはせるのも一興だろう。ちなみにカフェシャノンの前にはミュージアムショップがあり、ここでしか買えないミニカーなども販売されている。

ミニカーや書籍などが販売されるミュージアムショップ。展示の見学が終わったら、併設されたカフェシャノンで一服するのもいいだろう。

(文=内田俊一/写真=内田俊一、webCG)

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[ガズ―編集部]

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