勝利の女神…TBS安東弘樹アナウンサー連載コラム

2016年、WEC世界耐久選手権第3戦、Le Mans24h レース、TOYOTAはまたしても勝利を手にする事が出来ませんでした。

24時間のゴールの6分30秒前、それまで快調に首位を走っていた、中嶋一貴選手がドライブするTS050 Hybrid 5号車の無線の音声がテレビ画面から私の耳に飛び込んで来ました。「No Power! I have no power !」普段、食事をする時も常に冷静で、お酒も呑まず、声を荒らげる事もない一貴選手の、あまりに悲痛な叫び声でした。

そしてゴール3分前、つい5号車は完全にストップしてしまい、そこをポルシェ2号車が通過。その瞬間、優勝はポルシェのものになったのです。

一貴選手を始め、チームの皆さんの心中、察するに余りあります…。

いつもは大きなレースが終わった後、一貴選手に、お祝いや労いのメッセージをメールやSNSツールを使って送るのですが、今回は、どんな文面も白々しく思えて、結局、送信出来ませんでした。

今年は、シリーズチャンピオンより、ルマンの優勝を優先してクルマを作ると明言していたTOYOTAにとっては、余りに残酷な結末となりました。

ところで、私は、超現実主義者です。

実は、生まれた時にキリスト教の洗礼を受けたので、一応、カトリックの信者という事になりますが、物心ついてから自分で教会も行った事が無いので、あまりクリスチャンという自覚はありません。ですから日常、キリスト様に祈る事もありません。

受験の時も、就職活動の時も、神社やお寺に、合格祈願に行く事もなかったですし、御守りも買った事がありません。願掛けもしない、ジンクスも気にしません。

地道な努力のみが、人生を決める、と基本的には考えています。

例えば受験の時も、もし神様というものが存在するとしても、御守りを買いに行く人より、その時間に勉強をしている人の方を優先してくれるはずだ、という考え方です。

ですから、自分だけが信じる、努力だけを認める神様「のようなもの」を意識して生きています。

ちなみに受験に関しては、自分の中では、相当、勉強したつもりでしたが、第一志望の大学は不合格でした。でも、その原因は「自分では最大限と思っていたが、更なる努力が足りなかったから」という風に、あっさり納得するタイプです。

前置きが長くなりましたが…、「そんな」私が、今回のルマンの結末を目の当たりにした時、モータースポーツの神様というのは確かに存在していて、その中の「勝利の女神」は、今回、TOYOTAには微笑んでくれなかった、としか思えませんでした。

努力だけでは、届かない事が有るのかもしれない、と。そして、女神が微笑んでくれなかった「理由」を考えました。すると、すぐに、こんな女神の声が聞こえてきました。

「50年以上も、ひたすらスポーツカーを作り続け、ほぼ同じ期間、レース活動も続けて来たメーカーに、現在、本格的なスポーツカーをラインアップしていないメーカーを勝たせる訳にはいきません」

勿論、市販車とレーシングカーは別物である事は分かっています。これまで、TOYOTAのみなさまが、どれほどの努力をしてきたかも理解しているつもりです。だからこそ、非科学的な、この様な考えが浮かんできてしまうのです。

元々、ルマンはレース自体が過酷な実験場と言われる程、市販車へのフィードバックが多いそうです。

そう考えた場合、やはり普段から、サーキット走行を前提とするクルマを作っているメーカーの方が、フィードバックに対するリアリズムが遥かに高い為、レースから得られるノウハウや経験値は必然的に高くなるのではないでしょうか。そして私が、普段は気にしていない「運」というものも、その歴史を通して身に付けているのかもしれません。

簡単に言うと「ルマンだけに勝ちたい」という考えでは女神は微笑んでくれない、という感じでしょうか。

ポルシェのホームページを見ると、とにかくモータースポーツとの結び付きが、これでもか!という程アピールされています。そして、全てのレースに勝利する事が命題であるかの様な表現が目立ちます。

一方で、気になったのが今年のWEC、第一戦のシルバーストーン、第二戦のスパで勝てなかった後のTOYOTA GAZOO Racingのホームページ等でのコメントです。

特に第二戦のスパでは、2台ともエンジンが途中で壊れてしまったにもかかわらず、「今年はルマンに照準を定めているので、気にしていない。パフォーマンスは証明された」。この内容に個人的には非常に違和感を覚えました。

スパでは勝てなかったけどルマンでは勝てる、というのはおかしいのではないか。全てのレースに勝てるマシンでなければ、ルマンでは勝てないのではないか。どうして、そんな事が言えるのだろう、と。

その答えを、ルマンのテレビ放送で、ある解説の方が教えてくれる事になりました。

その解説の方は「スパから、どんな改良をしたんですか?とTOYOTAのエンジニアに訊いたら、“何も変えていません。ルマンでは、スパの様な過度の縦Gが掛かる事は想定出来ないので、何も変えなくても勝てます“と言っていました。」とエンジニアの方との会話を紹介していました。

これを聞いて、違和感を越えて、少し嫌な予感がしたのを覚えています。

何故なら、その直前だったと記憶していますが、5号車をアンソニー・デビッドソン選手がドライブしていた時、下のクラスのクルマを抜く時、路肩を通り、激しく段差を乗り越えたからです。

解説の方も、ああいう時は相当な縦Gが掛かるから、気を付けた方が良い、と、おっしゃっていました。

実際にスパの後、何も「カイゼン」していなかったかどうかは分かりませんが、もしそれが本当であれば、そういった事が最後の最後に勝利の女神に微笑んで貰えなかった、「現実の」理由なのかもしれません。

ここで、僭越ながら、僕からの提案、というか、お願いです。ルマンの過酷なレースのフィードバックが、直接役に立つ様な、サーキットにそのまま走って行って、走行を楽しんだ後、そのクルマで帰宅出来る様な(つまりポルシェの様な)本格的なスポーツカーを、TOYOTAブランドで真剣に作って頂けないでしょうか?

全く持って勝手な予想ですが、そんなクルマがTOYOTAから世に出た時、モータースポーツの勝利の女神は微笑んでくれる様な気がしてなりません…。

TOYOTAは来年、TOYOTA GAZOO Racing としてヤリス(日本名ヴィッツ)でWRC(世界ラリー選手権)に参戦します。
敵に回すのは、市販車にも、しっかりスポーツモデルが設定されている、VWポロRや、シトロエンDS3、フォードフィエスタ等です。

WRCのマシンは勿論、市販車とは違うものですが、市販車で、それぞれを比較した場合、正直、ヴィッツでは勝負になりません。ヴィッツはG’sのモデルでもパワーユニットはノーマルモデルと変わらないので、他のスポーツモデルと比較すると、その性能は見劣りします。

豊田社長!
ぜひ市販車で比較しても、他のヨーロッパのマシンと互角に渡り合える様な小型のスポーツモデルの開発もお願いします!若い人が無理すれば買える位の値段であれば嬉しいです。

1991年、MAZDAが日本メーカーとして初めて、ルマンを制した時、MAZDAには優勝マシンと同じロータリーエンジンを積んだスポーツカーRX-7や小型車でもファミリアGT-X等、世界の何処に出しても互角に戦える市販車を擁していた事を想い出して下さい。

去年も、このコラムで書かせて頂きましたが、来年こそは中嶋一貴選手や小林可夢偉選手、そして、もう盟友と言って良い、アンソニー・デビッドソン選手やセバスチャン・ブエミ選手達に、勝利の女神の微笑みを見せてあげて下さい!

彼等は、本当に良い仕事をしているのですから!

私の心からの、お願いです。

安東 弘樹

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[ガズ―編集部]