日野生まれ、日野育ちのオーナーが溺愛する、1965年式日野コンテッサ1300 クーペ(PD300型)

日野自動車株式会社(以下、日野自動車)といえば、バスやトラックをはじめとする商用車を製造・販売しているイメージが強いだろう。人によっては、日野のクルマに直接触れる機会は少ないかもしれない。しかし、リリー・フランキーが「トントントントン、ヒノノニトン」とリズミカルに口ずさんでいるCMも、実は日野・デュトロ(2トン車)だったりする。そして、日頃利用している路線バスが日野であったり、今夜の食卓に並ぶであろう食材も、ひょっとしたら日野のトラックが運んだものかもしれない。商用車というと縁遠いイメージを持たれるかもしれないが、実は、案外身近な存在のように思えてくる。

そんな日野自動車が、かつて乗用車の製造・販売を手掛けていたことを知っているのは、ある程度、年を重ねた人たちではないだろうか。しかも、美しいフォルムを身に纏ったクルマが確かに存在していたのだ!今回は、日野自動車が世に送り出したクルマを溺愛するオーナーに出会うことができた。

「このクルマは1965年式日野・コンテッサ1300 クーペ(以下、コンテッサ クーペ)です。私は現在65歳なんですが、東京都の日野生まれ、日野育ちでして・・・。それだけに、日野のクルマには特別な思い入れがあるんです。人から、このコンテッサ クーペを溺愛していると言われますね(笑)」。

あまり知られていないかもしれないが、日野自動車は日本でもっとも古い自動車メーカーだ。1910年の設立時には「東京瓦斯工業株式会社」と呼ばれていた同社は、1953年にフランス ルノー社と技術提携を結び、ルノー4CVの日本で国内生産を開始した(1959年の時点で、製造に関しては「日野自動車工業株式会社」、販売は「日野自動車販売株式会社」と改称した。その後、1999年に双方が合併して現在の「日野自動車株式会社」となった)。このノウハウを活かして誕生したのが、1961年に発売されたコンテッサ900である。そして1964年には、コンテッサ1300 セダンが発売された。このコンテッサ1300 クーペが発売されたのは、翌1965年のことだ。イタリア人カーデザイナーであるジョバンニ ミケロッティが手掛けた流麗なフォルムは、国内外で高い評価を得た。

コンテッサ クーペのボディサイズは全長×全幅×全高:4150x1530x1340mm。SUツインキャブを装置した「GR100型」と呼ばれる1251cc 直列4気筒OHVエンジンの最大出力は65馬力。セダンは3速MTだったが、クーペには4速MTが搭載された。そして、何より特徴的なのはエンジンの搭載位置だろう。一見するとフロントエンジンかと思いきや、このクルマはリアに搭載されているのだ。つまり、コンテッサ クーペの駆動方式は、RR(リアエンジン・リアドライブ)となる。ポルシェ・911やフォルクスワーゲン・ビートルなどと同じなのだ。そういう視点で見ると、コンテッサ クーペがフロントよりもリアの方が長いことに気づくかもしれない。事実、リアオーバーハングが、フロント比で300mm長いのだ。

その後、1966年にトヨタ自動車と業務提携を結んだ同社は、乗用車部門から撤退を表明。コンテッサも1967年に生産終了となったため、非常に短命のクルマだったということになる。しかし、ジョバンニ ミケロッティが手掛けた中でも傑作とされる、コンテッサ クーペのフォルムに魅了された熱心な愛好家たちの手厚い保護により、こうして生産終了から50年が経った今でもその姿を見ることができる。そんな貴重なクルマを、オーナーはどのようにして手に入れたのだろうか?

「このクルマを手に入れたのは25年くらい前になります。『日野コンテッサクラブ』という組織がありまして、そのメンバーの方を通じて譲ってもらいました。歴代オーナーの履歴も分かっている個体で、シングル(1ケタ)ナンバーだったので、そのナンバーごと譲り受けたかったのが本音です」。

古いクルマとなると、その個体はもとより、当時取得したナンバー自体が貴重になる。現在、登録されるクルマのナンバーは3ケタだ。シングルナンバーだけでなく、今や2ケタのものも貴重になりつつある。

「コンテッサ クーペが売られていた当時、欲しくて仕方がなかったんですが、少年時代に生産終了となってしまいました。運転免許を取得後、日産・フェアレディZ 240ZG(S30型)やスズキ・ジムニー、マツダ・キャロル、シボレーのキャンピングカーなど、いろいろなクルマに乗りましたよ。それでもやはり、コンテッサ クーペへの思いが募る一方でした。生産台数がセダンよりもクーペの方が少ないので苦労しましたけれど、手に入れたときは本当に嬉しかったですね」。

こうして、念願のコンテッサ クーペのオーナーとなったわけだが、古いクルマなりの苦労はあったのだろうか?

「そうなんです。古いクルマだけに、ボディのあちこちが錆びていて、屋根以外のあらゆる箇所を補修しました。エンジンも、当時5万キロくらい走ったものに載せ換えてあります。劣化したゴム類は『日野コンテッサクラブ』のメンバーの方々が有志で製作したものを手に入れて交換しています。旧車はオーナー自身がある程度メンテナンスしなければ維持できません。クルマの状態も分かりますし、遠出したときに故障しても対処できますから」。

オーナーにとって、まさに目に入れても痛くない存在といえるコンテッサ クーペだが、どのあたりがお気に入りなのだろうか?

「何といっても、クーペ特有のラインですね。見飽きることがありません。ウッドパネルが敷き詰められたメーター周りや、RR(リアエンジン・リアドライブ)の走りも好きです。パワーステアリングなんて装備されていない時代のクルマですが、駆動方式のお陰で操作も軽いんですよ。50年近く前のクルマですが、意外に燃費も良くて、軽く10km/lくらい走ります」。

最後に、このコンテッサ クーペと今後どのように接していきたいか伺ってみた。

「このコンテッサ クーペよりも欲しいクルマが見つからないんです。それはつまり、買い替えたいクルマが存在しないことを意味します。実は、コンテッサ900なども所有していまして・・・。私は日野のクルマが大好きなんです。雨の日にはもちろん乗りませんし、炎天下のときも走らせません。あとは、いつか私の子どもたちが引き継いでくれることを願うばかりですが、クルマに興味がないみたいで・・・」。

これまで「父親がクルマ好きであるにも関わらず、子どもは興味がない」という話を伺うケースが何度もあった。そのたびに、オーナーとともにお子さんのところに伺い「あなたのお父さんがこのクルマをどれだけ大切に乗っているか」を一緒に熱弁したい衝動に駆られてしまう。どうか、父親が大切にしている愛車を、できれば身内の方に引き継いでもらいたい。そう願ってやまない取材となった。

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]

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