2代目トヨタ クレスタだけに乗り続けて27年。それでも「まったく飽きない」という理由

30年以上前の車に、ずっと乗り続けるということ。それは、一般的には「考え方が古い」「頑固すぎる」「時代に付いていけてない」などと感じられる行為なのかもしれない。

しかし、1980年代に製造された2代目のトヨタ クレスタ(GX71型)にかれこれ30年近く乗り続け、「今後も買い替えるつもりはない。必要に応じて修理しながら、免許を返納するまでは、あるいは国から排ガス規制やCO2の問題などで『もう乗っちゃダメ』と言われるまでは、これに乗るつもりです」と言う松野 啓さんのお話を聞いているうちに、「……もしかしたら松野さんのスタイルこそが今、一周回って“最先端”なのかもしれない」と思うに至った。

フリーランスの照明技師として撮影の現場などで活躍している松野さんは、子どもの頃から大の車好き。特に「でっかくて四角い車」を好む少年だった。

そんな少年が運転免許を取得する年齢となり、そして仕事に就けば、当然ながら「でっかくて四角い車を買おう」と思うもの。そして、それらのなかでも「トヨタのマークII 3兄弟」こそが、松野少年および松野青年のいちばんのお気に入りだった。

「……ということで21歳だった1993年に、初めての愛車としてクレスタを買おうと思ったのですが、自分が買う頃、マークII 3兄弟はフルモデルチェンジで“丸っこいフォルム”に変わってしまっていたんですよね」

友人らは、丸みを帯びたフォルムとなったマークIIやクレスタについて「カッコよくなった」と言うが、松野さんは、そうは思えなかった。

「やはり自分はGX71世代のほうが好きだということで、その最終年式の中古車を買うことにしたんです」

1986年式のトヨタ クレスタ スーパールーセント ツインカム24。ボディカラーは、現在乗っているクレスタとまったく同じパールシルエットトーニング。俗に「パールツートン」と呼ばれていた、この時代のクレスタではおなじみのカラーだった。

最初に購入した個体から、諸事情あって3年後に同じパールシルエットトーニングのGX71型クレスタ GTツインターボへ乗り替え、またまた諸事情あってその3年後、1986年式のスーパールーセント ツインカム24に乗り替えた。

それがすなわち、以来22年間乗り続けている現在の愛車である。

1999年に購入した時点での走行距離は2.7万kmだったが、各地の撮影現場などへ通っているうちに、いつしか走行距離は16.9万kmに達した。

故障で困ったことは特にないというが、さすがに2006年、走行7.8万kmの時点で1G-GEツインカムエンジンは「オイル下がり」と「オイル上がり」の両方の症状が出て(オイル下がりは1G-GEの持病とも言われている症例だ)、エンジンオーバーホールを行うに至った。

2011年には4速ATを5速MTに換装し、以降、特にこれといった問題もなく日々稼働している35年落ちトヨタ クレスタ――ということは松野さんのお話を聞いて理解できたが、そうなると、次に以下のような疑問が湧いてくる。

この時代のクレスタが大好きなことはわかったが、言ってはなんだがもっと高性能・高機能な最近の車に目移りしたりはしないものなのか?

「目移りは……まったくしませんね。飽きないんですよ、この車に」

新しい世代の車に買い替えるお金がないわけではない。最新世代の車のことを知らないわけでもない。

それでも、この35年前の車を自分でコツコツ直しながら普通に使うことのほうが、キラキラしたニューモデルに乗り替えるよりも――松野さんとしては――何倍も楽しく、そして幸せを感じるのだという。

「2年に一度の車検整備はさすがに正規ディーラーにやってもらいますが、それ以外の、自分でできる日々の整備はできるだけ自分でやっているから飽きない、つまり『自分でいじってるから飽きない』というのはあると思います。もしも整備を人任せにしていたら、割と早めに飽きてしまった可能性もゼロではないでしょうね」

しかし、なくなると困る部品は早めに注文して自宅に大量にストックし、何かあるたびに自分で部品を交換していると、いわゆる愛着がどんどん湧いてきて、GX71型トヨタ クレスタという車のカタチも色もサイズ感も、もう何もかもが好きでたまらなくなり、「飽きる」などという感情はいっさい湧かなくなるのだそうだ。

まぁ「愛着」はわかる。車でも人間でも動物でも、ともに過ごす時間が長ければ長いほど、それは必然的に湧いてくるものだ。

しかし、あえて意地の悪い見方をするのであれば「キミ(=松野さん)はGX71型クレスタ以外の車を所有した経験がないから、そう思ってるだけだ」と指摘することもできるだろう。

なにせ松野さんは「最初の車がクレスタで、その次もクレスタで、またその次に買ったクレスタに今も乗り続けてます」という人物である。そういった人物に「でも、もっと他の高性能・高機能な最近の車の便利さや凄さを肌で実感すれば、意見が変わる可能性もあるのではないか?」と指摘するのは、決して無茶な言いがかりとは言えまい。

そのため、失礼を承知で質問してみた。

「最近のハイスペックな車にお乗りじゃないから、そう感じているだけではないですか?」と。

すると松野さんはしばしの黙考の後、答えた。

「そういった意見を否定しようとは思いませんし、新しい世代の車に乗り替えたら、何かと便利なんだろうなとは思いますが……でもどうなんでしょう。そこまで物事を便利にしたり、車のいわゆる性能を上げる必要って、そもそもあるのでしょうか?」

松野さんは、パーソナルコンピュータを例にとって話を続ける。

「例えばPCも次から次へと、よりハイスペックなものが登場していますよね。そして、ハイスペックなマシンやOSが出るたびに『マズい! 買い替えなきゃ!』と思う人が多いことも知っています。もちろん、仕事でハイスペックなPCが必要な人は買い替えるべきでしょう。でも、少なくとも私にとってのPCは『自分の生活のなかで使いきれるぐらいの性能であれば、それでいい』というものなんです。そんな私が、超ハイスペックなPCが発売されたからといって、今使っているPCが壊れてもいないのに、すぐに買い替える必要はないと思います」

たぶん――ないですね。

「ですよね。このクレスタもそれと同じ――と言っていいかどうかはわかりませんが、とにかく不満はありませんし、いや『不満がない』どころか『大満足している』『もはや身体の一部』という状態ですので(笑)、わざわざ買い替える理由がどこにも見当たらないんですよ。だから、直しながらでも、ずっと乗り続けるんですよ」

まだ使えるものは、コツコツ直しながら使う。自分が好きなものは、誰が何を言おうと好きであり続ける。
そして「ところで自分が本当に求めてるモノ、必要なモノって何だったっけ?」と常に問い、世間ではなく、自身の心にのみ従って生きる。

軽妙・軽薄な消費を主体とするカルチャーが全盛を極めていた1980年代――つまりこの型式のトヨタ クレスタが誕生した時代――においては「暗い」だの「ダサい」だのと言われかねない、松野 啓さんの姿勢。

しかし、物質文明がある意味行き着くところまで行き着いた結果、過剰な消費行動が「むしろダサい」とみなされるようになってきた今。そんな今は、松野さんのこの姿勢こそが「カッコいい」であり、実は「最先端」なのかもしれない。

まるで近頃の若者が海辺の古民家をリフォームしながら満足げに暮らすかのように、1986年式の「ハイソカー」を丁寧にリペアしながら満足げに乗っている松野 啓さんの姿を見て、そんなことを思ったのだ。

(文=伊達軍曹/撮影=阿部昌也)

[ガズー編集部]

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