谷街道の宿場町「いいやま宿」… 「いいやま箱店屋横丁」通信

 小京都と呼ばれる飯山…… 谷街道・北国街道・十日町街道の要衝として栄えました。
 その飯山をこよなく愛する「いいやま箱店屋横丁」大家が、素晴らしい飯山の自然・人情・祭り・イベントを紹介するブログです。
「いいやま箱店屋横丁」というのは、平成18年に飯山地方の情報を発信したいと開店した店の名前(箱=ボックスの店が並んだ横丁という意味)です。

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正受老人の「一日暮らし」道鏡恵端正受老人の言葉です。

飯山で生まれ、正受庵で一生修業の生活をされた正受老人の言葉「一日暮らし」

 

正受老人のお墓「裁松塔」手前の石は「坐禅石」


正受老人の「一日暮らし」という言葉があります。
正受老人が、村人相手にやさしい言葉で語った人の生き方の話です。

正受老人 「一日暮らし」の全文をご紹介します。
或る人の咄に「吾れ世の人の云うに『一日暮らしといふを工夫せしより、精神すこやかにして又養生の要を得たり』と。如何となれば一日は千年万歳の初なれば、一日よく暮らすほどのつとめをせば、其の日過ぐるなり。それを翌日はどうしてかうしてと、又あひても無き事を苦にして、しかも翌日に呑まれ、其の日怠りがちなり。つひに朝夕に至れば、又翌日を工夫すれば全體にもちこして、今日の無きものに思ふゆゑ、心氣を遠きにおろそかにしそろ也。兎角翌日の事は命の程も覚束なしと云ふものの、今日のすぎはひを粗末にせよと云ふではなし。今日一日暮す時の勤めをはげみつとむべし。如何程の苦しみにても、一日と思へば堪へ易し。楽しみも亦、一日と思へばふけることもあるまじ。愚かなる者の、親に孝行せぬも、長いと思ふ故也。一日一日を思へば退屈はあるまじ。一日一日とつとむれば、百年千年もつとめやすし。何卒一生と思ふからたいそうなり。一生とは永い事と思へど、後の事やら翌日の事やら、一年乃至百年千年の事やら知る人あるまじ。死を限りと思へば、一生にはだまされやすし。」と。一大事と申すは、今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし。総ての人に.遠き事を思ひて謀ることあれども、的面の今を失うに心づかず。

この「一日暮らし」の意味は~
「ある人の話に、一日暮らしという生き方をするようになったら、精神がすこやかになって体にもよかった。と聞いた。」
「なぜかというと、一日はひと月の初めであり、千年万年の初めであり、その初めの一日をよく暮らし、充実したものにすることは、つまり一生をよく暮らす事につながるからだ。」
「ところが人間というものは、とかく翌日があると思うから、その日のことを怠りがちになる。困難な事は後回しにして、明日やればいいと、ほどほどに過ごしてしまいがちになる。」
「明日やればいいと言っても、その明日があるかどうかは分からない。人の命は、はかないものだからこそ、今日の一日を精一杯つとめ励むべきだ。」
「また、どうせ一日だからと粗末に過ごしてしまってはもったいない。」
「どんなにつらいことでも、一日のことだと思えば耐えられるし、楽しみだって一日のことだと思えばそれに溺れることもない。」
「世の中に、親不孝する者がいるのだって、人生は長いからそのうち孝行すればいいなどと考え、つい甘え心をおこしてしまうからだ。」
「どんなことでも、一日一日と思って生きれば、百年でも千年でも仕事に精をだしやすいものだ。」
「人生で一番大切なことは、今日ただいまの自分の心なのだ。それをおろそかにして翌日などというものはない。」
「人は一年の計は元旦にあり。とか、来年は二年後にはとか色々考えるものだが、今ここににいる、この一刻の、この今をどう生きるか暮らすかを考えている人は少ない。」

正受老人は、「今日すべき事を翌日に持ち越さず、今日する事は今日きちんとやり、そして今日は自分ながら一生懸命やったな。と言う満足感を得られるような暮らしを心掛けたいものだ。今日の事は今日始末せよ。」とおっしゃっています。

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