谷街道の宿場町「いいやま宿」… 「いいやま箱店屋横丁」通信

 小京都と呼ばれる飯山…… 谷街道・北国街道・十日町街道の要衝として栄えました。
 その飯山をこよなく愛する「いいやま箱店屋横丁」大家が、素晴らしい飯山の自然・人情・祭り・イベントを紹介するブログです。
「いいやま箱店屋横丁」というのは、平成18年に飯山地方の情報を発信したいと開店した店の名前(箱=ボックスの店が並んだ横丁という意味)です。

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戸狩スキー場誕生秘話〜⑤ 「だけどなあ。オレたちの村みたいに雪の多いところの農業は不利だなあ。条件が悪すぎるよ」

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戸狩スキー場誕生秘話〜⑤ 「だけどなあ。オレたちの村みたいに雪の多いところの農業は不利だなあ。条件が悪すぎるよ」
太田村農事研究会「新緑会(しんりょくかい)」が開いた、東京大学農学部の川田信一郎教授を招いての講演会で参加者の一人がこう言った。
「だけどなあ。オレたちの村みたいに雪の多いところの農業は不利だなあ。条件が悪すぎるよ」
この発言に、川田教授はこう答えた。
「たしかに、雪はマイナスの条件になっている。」
「だけど、雪が多いことは絶対にマイナスだと言えるだろうか?」
「雪がプラスの条件になることだってあるんじゃないか。」
「いや、雪の多いことを積極的に利用する道だってあるんじゃないかね。」
「新緑会」の青年たちは、川田教授のこの言葉にシーンとなった。
1mも2mも積もる雪。
冬に入るのは早く春になるのが遅い豪雪地帯。
どこから考えても、雪はマイナスの条件だと思っていたのに。
川田先生は、それをプラスの条件に変えろという。
そんなことができるだろうか?
この先生は、夢みたいなことを言ってる。
自分で、ここに住んでいないから、そんなことが言えるんじゃないか?
川田教授は、こんなことも話した。
「日本の国で、初めて稲が作られたのは2千数百年前。」
「田んぼは、主に小さな谷間にあった。」
「なぜ、大河川の流域や、平野に稲を作らなかったと言えば、大河川の水を制御する力がなかったからだ。」
「だから、古代人にしてみれば、大河川の流域は何の役にも立たないところだったのだ。」
「だが、時代が進み、社会の生産能力が高まり、技術が進歩して、大河川の水が制御できるようになり、その流域に水田が作られるようになった。」
「そこは、広く、土地が肥えていたので米がよくとれるようになった。」
「雪についても、これと同じことが言えるかも知れない。今は、雪を利用する道が開けていないので、雪はマイナスの働きしかもっていないが、もし利用する方法を発見したなら、今とは逆にプラスの働きをするだろう。」
青年たちはうなずいた。
この時、勇士や良二たち青年は、何かはっきりはしないけれども、遠くに火が見えたように思った。
「暗いトンネルの向こうに幽かな明かりがある。」
そんな風に思えたのである。
この「第1回太田村農事研究会「新緑会(しんりょくかい)」の講演会が開催されたのは昭和22年。
以後、8年間も川田信一郎教授グループを招いて「害ある雪を生かす」をテーマとする勉強会を開いた。
この勉強の蓄積があって「五荷集落の上にある芋葉沢を、スキー場にして都会からお客を呼び、商売としてみんなで民宿をやろう!」という、中沢朝男、江沢雄孝、高橋勇士、水野幸夫、福沢裕文の呼びかけは、最終的には実現した。​

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