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「富士屋ホテルと自動車」の巻(その3)富士屋自働車の営業展開

富士屋ホテルが別会社として設立した富士屋自働車(株)は、ホテル専用車だけでなく一般乗合自動車運営にも進出して、箱根のPR、お客誘致等へ大きく貢献しました。


既に当ブログの前回(7/19公開 http://gazoo.com/G-BLOG/tam/348476/Article.aspx)と前々回(6/21公開 http://gazoo.com/G-BLOG/tam/333176/Article.aspx)で概略述べたように、富士屋ホテルは、大正期に入る頃から率先して自動車をホテル経営に取り入れると同時に、それらを円滑に運用するため、別会社として「富士屋自働車(株)」を立ち上げました。 1914年(大正3年)に設立された同社(最初は‘富士屋自働車’と表記していましたが1930年代初期には‘富士屋自動車’に変更)の役割は、当初はホテル客の送迎や観光用のクルマと運転士を提供することでしたが、その後次第に規模を拡大し、1919年(大正8年)には乗合自動車事業にも進出して、観光地・箱根を地盤とした観光・遊覧バスを発足させました。 さらに大正末期にはホテルの本拠地・宮ノ下と静岡県の三島、沼津を結ぶ一般乗合自動車の運行事業等にも進出しています。


今日は五十嵐平達コレクションより、この富士屋自働車の、特に乗合自動車事業の様子を伝える写真を紹介させていただきます。




写真1.


写真1.芦ノ湖を背景にした富士屋自働車バスで、見晴らしの良い場所で観光案内中でしょうか。 前部左の会社マーク入り乗降ドアには当時としては珍しい同社の女性ガイドの姿が見えます。 クルマは富士屋自働車の1930年代の中心的なモデルとなった米国ホワイト社の25人乗バス(1930年頃)で、最新鋭ボディーが美しく、横のベルトラインに書かれた「FUJIYA GARAGE」の文字がハイカラなイメージをアップしています。




写真2.


写真2.富士屋自働車乗合バスの「宮ノ下」(写真では宮之下)待合所の光景です。 本拠地にあり、同社の中では最も主要なバス待合所でした。



  

写真3-1.                     写真3-2.


写真3-1. 3-2.両写真とも同社の遊覧・観光バスの誌上広告です。 これによれば、日曜、祭日には東京や横浜から直接 乗り替えなしで箱根観光が楽しめるコースがあったようです。 列車も含め全般の交通網がまだまだ不十分だった当時としては、日帰りで行けるバス旅行として大きな魅力だったことでしょう。 なお、右の広告では社名が「富士屋自動車(株)」となっているので、1930年代半ば以降のものと推定されます。 広告の中で“女車掌の親切”を謳っていますが、当時としては特に女性のバスガイドは目新しい存在だったようです。




写真4.


写真4.富士屋自働車の大きな売物であった“女車掌”さん達です。 同社は彼女たちの教育には力を入れていたとのこと。 制服は男性運転士とお揃いの、乗馬服を気取ったモダーンなデザインで、その颯爽としたスタイルが評判を呼び、戦前から戦後にかけて人気が高まった“バスガイド”のパイオニアの役割を果たしたといわれています。




写真5.


写真5.富士屋自働車のサービス工場の内部です。 大型バスも数台入庫できるスペースを持ち、当時としては立派な工場だったと言えるのではないでしょうか。 入庫中のクルマは、正面中央が米国のピアスアロー大型バス(1920年頃)、右の乗用車は米国ハドソン・シックス(1920年型)で、1920年代の大正期に箱根で活躍したと思われます。 この写真は同社開業初期の映像と考えられます。



写真6.


写真6.同サービス工場外観




写真7.


写真7.旧国鉄・小田原駅にあった富士屋自働車専用のバス乗り場です。 当時の東京方面から箱根へ向かう客の一般的な交通手段は、小田原で列車からバスか箱根登山電車に乗り換えるものでしたが、この電車とバスのお客争奪戦が激しいものだったといわれています。 並んでいるバスはいずれも富士屋自働車の米国ホワイト社製25人乗(1930年頃)で、横に立つ運転士や女性車掌の制服姿が凛々しいですね。




写真8.


写真8.1930年7月、クラブ富士登山会の箱根バス遊覧記念に、富士屋自働車会社が同クラブに寄贈した記念写真です。 バスを10台以上も連ねた、当時としては大型のツアーは十分世間の目を引くものだったと思いますが、ツアーを企画・提供し、名入りの記念写真を寄贈して企業のPRを進める営業的なセンスは見事なものですね。



以上見てきたように、富士屋ホテルが事業拡大を目指して創設した「富士屋自働車(株)」は、その期待通り箱根を中心として東京、神奈川、静岡等も含めた交通・運輸事業を華々しく展開してきました。 観光地・箱根は当時から他の交通会社もいくつか参入していましたが、その中で特に箱根登山鉄道(株)がほぼ同じ路線で自動車事業を展開しており、そことの激しいお客争奪戦は当時の語り草になっていたようです。 結局、富士屋自働車が1932年(昭和7年)に箱根登山鉄道(株)の自動車事業を買収する形で決着し、社名を「富士箱根自動車(株)」として新会社が発足しました。 その後間もなく、富士屋ホテル側は同社の経営から手を引いたため、同社はその後いくつかの吸収合併等を経て現在は箱根登山バス(株)が事業を受け継いでいますが、その変遷は富士屋自働車(株)が主軸になっているそうです。
富士屋ホテルの方針転換の背景は定かではありませんが、ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただければ幸甚です。


2011/08/17記

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