
世界三大レースのひとつ、フランス伝統の「ル・マン24時間耐久レース」で、1995年に日本人として初の総合優勝後、2000年までドライバーとして活躍。翌年から国内トップチームTOYOTA TEAM TOM’Sの監督として采配を振るい、2006年にはチームを「スーパーGT」総合優勝に導いた。年々ヒートアップする「スーパーGT」の魅力と真実を名将が語る!
1949年11月27日生まれ/静岡県出身
1971年、富士500kmレースでデビュー。
1983年にTOYOTA TEAM TOM’Sと契約。
以後、国内外のトップカテゴリーで活躍、1995年には伝統の「ル・マン24時間耐久レース」で日本人初の総合優勝を果たし、世界の頂点に立った。
同年から「全日本GT選手権」(現在の「スーパーGT」)に出場し、2000年に51歳で現役を引退するまで常に第一線でホットバトルを展開した。
翌年、TOYOTA TEAM TOM’Sの監督に就任、2006年にはチームを年間王者に導く。
トヨタの若手育成にも尽力、F1で活躍する中嶋一貴他、未来のトップレーサーを輩出し続ける。


1995年、仙台ハイランドでミハエル・クルムと2人で組んで優勝したレース。「ル・マン24時間」で優勝した後のレースでした。夏の暑い日で、僕らとトップ争いをしたのがトヨタ・チーム・セルモのエリック・コマス。あの当時のルールは、ドライバーが1人で走りきってもよかった。ただ、1人で走るには、夏の暑くてキツいレースだったので、2人で交代する自分たちに分があるだろうなと思っていたんですけど、僕が乗った時にはちょっとコマスに離されて、交代したクルムが彼を抜いて優勝したっていうレース。夏場のハイランドだから結構ハードだった。向こうは一人だったからたぶんヘロヘロで、それで抜かれたんだと思う。
それから97年、スポーツランドSUGOの最終戦。途中で雨が降ってきたけれど、勝つためには(晴れ用の)スリックタイヤのまま無理をして走らなきゃいけない状況の中、相棒がトップ争い。このままいけばチャンピオンだ、なんて言っていたら、コースアウトしてハマってしまった…。路面状況に合せてレインタイヤに替えていたら、チャンピオンの可能性がなかったから勝負に出た結果でした。雨の量がとても多くて、スリックタイヤでは、アイスバーンの上を走っているのと変わらない怖い状態でしたね。










