『レースデビューは夢ではない』 〜講師、レーサー鹿島のレーシングヒストリー PART1〜

アメリカ最高峰のレース「INDY500」出場を目指して、アメリカを拠点にレース活動を行っている私、レーサー鹿島ですが、実は本格的にレースをはじめたのは放送局勤務の23歳の頃。F1などでは幼少の頃から英才教育を受けた若手ドライバーがよく話題になりますが、20歳を過ぎてからのチャレンジでも世界のひのき舞台へ出て行ける可能性があるのも事実です。GAZOOドライビングスクール3回目の今回は、“レースデビューは夢ではない”をテーマに、私自身のレーシングヒストリーをご紹介します!

幼少の頃

クルマ好きであることを除けば、ごくごく普通の少年

母親いわく「赤ちゃんの頃、通りに出てクルマのエンジン音を聴かせると泣き止んだ」という、もの心つく前からクルマ好きであったことを証明する逸話が残るほど(笑)。1歳の頃に、父親のオートバイのタンクに乗せられてはしゃいだ記憶もかすかに。幼稚園時代はミニカー、小学生時代にはミニカーとプラモデル、ラジコンカーと着々とステップアップを果たしていきました。

ミニバイクレース (1989〜1990年)

最初はミニバイク耐久レース。しかし本格的なレースは夢の世界

レースに憧れを抱きながらも、レース入門の本はどこにも見当たらず、身近にレース関係者もいなかったため、50CCのスクーターで出場可能なミニバイク耐久レースにエントリーしたのが大学2年生の時。ここでいきなり予選1位から5位入賞を果たし、「自分はレーサーに向いているのでは」と思い込みます。しかし、本格的なレースデビューは資金やノウハウもなく夢のまた夢でした。

レーシングカート (1991〜1995年)

現在もプロを目指す若者たちの出発点

本格的なレース活動は社会人になってから!

放送局にアナウンサーとして入社した1991年(23歳)に「レーシングカート」をスタート。「レーシングカート」は現役F1ドライバーの100%がそこを出発点としているレースの原点ながら、当時、中古のマシンが約¥150,000、1日のコース走行料金が約¥4,000、ガソリン代が1日約¥3,000程度とコストパフォーマンスは最高でした。翌年レースデビューし、予選6位、決勝9位。最終的にはチャンピオンを獲得して全国大会へ出場。出場74台の中、初めて走った富士スピードウェイで5位入賞、決勝中のファステストラップ(最速タイム)を記録して、レーサーへの夢は加速していきます。

フォーミュラ・トヨタ (1995〜1999年)

中嶋一貴(写真※2003年)もここから世界へ

社会人からつなげた、プロレーサーへの道

「レーシングカート・全国大会」での快走が、名門「Team TOM’S」の目に留まり、翌年、「フォーミュラ・トヨタ」にデビュー。「フォーミュラ・トヨタ」は数々のトップドライバーを輩出し続けているレーサーへの登竜門のひとつ。チームメイトは女優の三原じゅん子さんでした。幼少の頃から芸能界という厳しい世界で活躍されてきた三原さんには、心構え、チームスタッフやスポンサーへの配慮など、レーサーとして必要な精神的な要素を色々と教えてもらいました。また、優勝は果たせませんでしたが、この時代に学んだテクニックは私のドライビングのベースとなっています。

全日本F3 (2000年)

純白のマシンに情熱を乗せて走った

更なるステップアップのための、厳しい世界に挑戦

いまやF1への最終関門とも言われるのがこの「F3(フォーミュラ3)」です。より上のクラスへステップアップするためにどうしても出場したかったため、オフシーズンにレーシングチームや様々な企業にお願いに通いました。気持ちが通じて、「Team TOM’S」やスポンサーのバックアップを得て、シーズン後半の3レースに滑り込みで出場。現在、国内外でトップドライバーとして活躍する面々と走った経験は、貴重な経験として私の自信に繋がっています。

ネッツカップ・アルテッツァシリーズ (2000年)

台数が多く、毎回が激戦だった

アルテッツァレースにフルエントリー

この年、「Team GAZOO」のメンバーがニュルブルクリンク24時間で駆るマシン、アルテッツァのみで戦う新しいシリーズ「ネッツカップ・アルテッツァ」が開幕。レーシングチームからのお誘いでフルエントリーすることに。東北から岡山まで年間8レースを転戦しました。FRスポーツセダンのアルテッツァからは、市販車ベースのレーシングカーのドライビングの基本を学びました。


スーパー耐久シリーズ (2001年)

レーサーとしてのプロ意識が高まった年

レースで大切な冷静さとチームワークを学ぶ

前年の「F3」、「ネッツカップ・アルテッツァ」での奮闘が認められ、またも「Team TOM’S」から、市販車をベースにしたレーシングカーで争われる人気の耐久レース「スーパー耐久」に出場。実はこのマシンは、「Team GAZOO」のアルテッツァとほぼ同じ仕様です。ハンドルが重く、夏場は車内の温度が60℃を超えるため、鍛えられました(笑)。このレースでは、耐久レースならではの冷静でスムーズな走りと、チームワークの大切さを学びました。

この2001年のシーズン中に、レーシングドライバーとしての大きな転機が訪れます。この続きは、PART2で!