わたしの自動車史(前編) ― 西川 淳 ―

西川 淳(プロフィール)
1965年奈良生まれ。京都大学で機械工学を学んだ後、株式会社リクルートに入社。中古車情報誌『カーセンサー』の編集に携わる。その後、1999年に同社を退社。現在はフリーランスとして活動を続けている。歴代のフェラーリやランボルギーニを愛車に持ち、特にスーパーカー、エキゾチックカーに深い造詣を持つ。

幼稚園に上がる前のボクは、じい様から贈られてくるマッチボックスを、にぎってしゃぶっていじってタイヤをもぐのが、イチバンの楽しみだったらしい。
らしい、というのは、そんな昔のことなんか、実はちっとも覚えてないからだ。アルバムを見れば、クルマ好きの叔父が卵色のサニークーペに乗ってわが家にやってきてボクを喜ばせてくれる、の図を見つけることができるのだけれども、横に乗せてもらった記憶だって、今となってはかすかにも残っていない。

記憶に鮮明という意味でのクルマ原体験は、だから、幼稚園に上がってからの出来事だった。クルマ好きの叔父がいる母の実家には、ミニカーを買ってくれるじい様とうまくてめずらしいものばかり食わせてくれるばあ様(マクドナルドよりも先にちゃんとしたでっかいハンバーガーを教えてくれたのもばあ様だった)もいて、幼いボクにとっては楽園のような場所だった。

思えば、クルマとグルメという2つの趣味を、ボクは祖父母から教わったのですね。

それはさておき、かんじんの原体験は何だったかというと、ある日、幼稚園からそのまま祖父母の家に行かなければならなかったのだろう、叔父がクルマで迎えにきてくれたときのこと……。
黄色いカバン(たぶん)を下げて、シャツを半分、ジャンニ・アニエッリのように短パンから放り出したボクは、ずっと幼稚園の門を眺めていた。そこに、さっそうとやってきたのが、叔父のセリカだった。俗にいう、ダルマセリカ。赤のSTで、カラードバンパーに白いレザートップという、ド派手な仕様だったけれども、幼稚園児のボクには、ウルトラマンより格好よく思えたものだった。

まぶたに焼き付いたその映像が、ボクの記憶にあるクルマの原体験である。そこから、ボクのクルマ人生は、加速度的に“進化”していった。
ミニカー、プラモデル、ラジコンは、一通り。カードとポスターのスーパーカーブームに、雑誌と映画で見るフォーミュラ1など、子供が体験できるクルマの世界は、ほとんど経験した。

ランボルギーニ・カウンタックLP400

中でも、今の人生に決定的な影響を与えているのが、いわゆるスーパーカーブームだ。地元の奈良に、1度だけ、スーパーカーショーがやってきたことがある。
父親にせがんで、連れていってもらった。当時の地方ショーにありがちな、ベンツやボルボやトランザムまで“スーパー”にしてしまう、今でいうところの外車ショーのようなものだったけれども、ランボルギーニ・カウンタックLP400とポルシェ930ターボという、大物が2台、ちゃんと用意されていた。カウンタックさえあれば、スーパーカーショーと銘打てたのだろうし、子供たちも喜んで集まってきたのだと思う。
とにかく、ボクはカウンタックのそばから離れなかった。そして、おやじにせがんだ。横に乗ってみたい、と。

ポルシェは500円、カウンタックは1000円だったと思う。横に乗って記念撮影だけだったのか、ちょっとは走ってくれたのか。たぶん、後者だと思うけれど、記憶は定かじゃない。けれども、とにかく、“カウンタック”に執心だったことだけは間違いない。
それから、四半世紀後、その正に同じ個体が自分のものになっているなんてことは、つゆとも知らず……。

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[ガズ―編集部]