【モータースポーツ大百科】F1(前編)

第1回F1グランプリの優勝マシンであるアルファ・ロメオ158。F1の前身であるグランプリレースでも活躍を見せていた。
1952年にアルベルト・アスカリが駆ってドライバーズ・チャンピオンに輝いたフェラーリ500F2。
ホンダがF1初勝利を果たした1965年のメキシコGPにて、「ホンダRA272」とドライバーのリッチー・ギンサー。
1977年にF1に参戦したルノーは、当時主流だった自然吸気エンジンではなく、ターボエンジンを採用。当初はトラブルが頻発したものの、後のターボエンジン全盛時代への流れをつくった。
1980年代後半からは、ホンダ・パワーがF1を席巻。マクラーレン・ホンダは、1988年から1991年までコンストラクターズ・タイトルを獲得した。
2014年からは1.6リッターV6ターボ+ハイブリッドシステムという新規定がスタート。F1は新しい時代を迎えた。

英和辞典でFormula(フォーミュラ)とひくと「(数学・化学の)公式」「(薬・飲食物などの)処方箋、製法」などの意味に出くわす(ウィズダム英和辞典より)。つまりフォーミュラ1とは「クルマの作り方」という意味で、本来は車両規格のことを指す。だから、F1を使ったレースはF1レースもしくはF1グランプリなどと呼ぶほうが正しいが、現在では、クルマの規格だけでなく、レースそのもの、もしくはこのレースシリーズにまつわるさまざまな事象まで“F1”という言葉でひとくくりにするようになってきた。
ちなみに、F1を中国語で書くと「一級方程式賽車」。このほうがなんだかしっくりくるのは、私だけだろうか?

F1グランプリが創設されたのは1950年。記念すべき第1回は同年5月13日にイギリスのシルバーストーンで開催され、アルファ・ロメオ158を駆るジュゼッペ・ファリーナが栄冠を勝ち取った。この頃はまだ第2次世界大戦の混乱から抜けきっていなかったこともあり、出走したF1カーのなかには戦前の技術を用いた車両が少なくなかった。

ちなみに当時の車両規則は「過給器付きエンジンの排気量は1500cc、自然吸気エンジンの排気量は4500ccが上限」という至ってシンプルなもの。しかし1952年にはアルファ・ロメオが撤退し、十分な台数のエントリーが集まらなかったことから、F1はより排気量の小さなF2カー(排気量は2000ccまで)で競われることになる。この状態は翌1953年まで続いた。

その後、1954年には自然吸気:2500cc、過給器つき:1750ccというF1独自の規定が登場。1960年まで続いたものの、F1の隆盛を決定づけたのは、これに続く1.5リッターの時代だった。1.5リッター時代は1961年~1965年と意外にも短命だったが、フェラーリやホンダといった自動車メーカーだけでなく、BRMやコベントリー・クライマックスといったレーシング・エンジンが登場。シャシーコンストラクターも6社を数えた。なお、日本の自動車メーカーとして初めてF1グランプリに参戦したホンダが初優勝を飾ったのは、この1.5リッター時代最後のレースとなった1965年メキシコGPだった。

1966年からは自然吸気:3リッター、過給器付き:1.5リッターの新規則が導入。これは1983年まで実に17年間の長きにわたって実施された。この時期、特筆すべきはフォード・コスワースDFVが登場したこと。これについては後編で詳しく触れるが、DFVの誕生はF1チームが乱立する時代を作り、F1が黄金期を迎える大きな要因となった。

1980年代に入るとF1はターボ時代に突入。とりわけ、1985年に復帰したホンダが80年代後半に連戦連勝を重ねたため、エンジン規則は常に「ホンダいじめ」の内容をはらんでいた。しかし、ホンダは先進技術で時流に先んじ、86年から91年まではホンダ・エンジンを搭載するチームが6年連続でコンストラクターズ・チャンピオンに輝いた。
いっぽう、エンジン規則は1989年に自然吸気に一本化。当初は3.5リッターだったものが、やがて3リッター、2.4リッターと次第に縮小されていったのは、速くなりすぎたF1カーのスピードを抑制し、安全性を確保するのが主な目的だった。
そして2014年にはV6 1.6リッター直噴ターボにブレーキ回生と熱回生によるハイブリッドシステムを組み合わせた新規則が誕生。F1はついに“環境対応時代”へと突入したのである。

(文=大谷達也)

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