わたしの自動車史(前編) ―井原 慶子―

「私を外から抜くなんて!」 麦わら帽子の上からヘルメットをかぶってバイクを走らせる変なおばあさんが、ダイハツ・ムーヴで買い物に出掛ける私を外側から抜き去った。世界各地を転戦するカーレースの合間をぬって、徳島の祖母の家を訪れていた私は、祖母の軽自動車を運転して鮮魚店に向かっていた。その途中、神社の角を曲がる直角コーナーで、お年寄りが運転するホンダ・スーパーカブにさっそうとアウトから抜かれたのだ。鮮魚店に着くと「慶子、遅かったな~」と笑顔でヘルメットを脱いだのは、当時80歳の私の祖母だった(笑)。私は『祖母からカーレーサーへの血を受け継いだのだ』と確信した。祖母は、戦後にホンダ・カブが発売されてすぐに購入し「当時、女性でカブに乗っていたのは四国で私1人じゃったけんな、井原酒店に注文すると物珍しい乗り物でおなごがお酒を配達してくると評判になって、お酒がよー売れたんよー」と言っていた。

1952年に登場したホンダ・カブF型。今でも親しまれている「カブ」という名称は、もとは自転車用補助エンジンに使われた名称だった。

そんなワイルドな祖母から生まれた父は、当時トヨタ自動車で働いていた母と結婚して3代目トヨタ・マークIIセダン 2000グランデを購入した。私はカーレーサーとして世界70カ国を転戦しているが、世界中どんな道でもグリップを敏感に感じて対応できるようになったのは、このクルマがきっかけだと思う。幼稚園の送迎でマークIIに乗せられて家の前の砂利道をガタゴト行く際、3歳の私は背が低くて周りの景色が見えない。だから、サスペンションがバウンドしながらも路面をつかむ感覚に神経を集中させていたのを覚えている。

トヨタ・マークIIは、コロナとクラウンの間を埋める車種として1968年に登場したアッパーミドルモデル。3代目は1976年に登場している。

大学生になり、モーグルスキーに熱中し、合宿費用を捻出するためにモデルを始めた。最初は全く仕事がなかったが、そのうちにレースクイーンの仕事がきて、生まれて初めてサーキットに行った。そこから人生が変わった。それまで勉強もスポーツも何もやり遂げたことはなく、将来の目標や夢もなかった。そんな中「ねじ1本締め間違えたら命にかかわる」という責任感を持って働いているメカニックやエンジニア、レーサーから“人間の本気”を感じた。「私も“人間の本気”を出して生きてみたい!」と思った。当時はクルマに全く興味がなく、運転免許さえ持っていなかった。初めてサーキットに行った翌日、教習所に通い始めた。

大学のモーグルスキーサークルの先輩たちはクルマが大好きで、クラウンマジェスタ、ポルシェ、しゃこたんシルビア、ハイラックスサーフなどを乗り回して雪山に通っていた。そしてなんと、その中で一番「恥ずかしい」と思っていた真っ黒なしゃこたんシルビアが、私の最初のクルマとなった。S13と呼ばれる5代目日産シルビアの車高を落とし、トランスミッションから足まわりまでフルチューンした中古車を、先輩から30万円で譲り受けたのだ。女子大生にとっては恥ずかしいクルマだったが、「30万円で自由にどこへでも行けるようになるなら!」と購入。しかし、後に乗るF3のレーシングカーよりはるかに重い強化クラッチのせいで、大学に到着すると足がプルプルしていた(笑)。

「S13」こと5代目日産シルビア。手ごろなサイズとパワフルなターボエンジンの設定、FRの駆動方式などから、気軽に走りを楽しめるスポーツクーペとして人気を博した。

その後、シルビアを売ってくれた先輩から「彼女がシルビアに乗りたいって言うから、セブンと取り換えてくれない?」と提案があり、これまた車高調整から燃料調整ボタン装備までの大改造を受けた3代目マツダRX-7(FD)に乗ることに。走り屋でもクルマ好きでもない普通の女子大生にとっては、走行中のエンジンの燃料調整が難しく、エンジンが焼き付きそうになったり、ガソリンの噴射量が多すぎてかぶってしまい、大学に遅刻したり。とにかく、大変な暴れん坊車だった。

「FD」と呼ばれて親しまれた3代目マツダRX-7。シーケンシャルツインターボ付きの2ローターロータリーエンジンを搭載していた。

レーサーを目指していた私は、オーディションを経て日産ドライビングスクールのインストラクターになった。職場である日産のテストコースに入場するために、初めて素(す)のクルマを購入した。この前輪駆動車のおかげで、その15年後、私は女性カーレーサーとして世界最高位を獲得することになる。

井原 慶子 (プロフィール)
世界最速の女性ドライバー。1999年のレースデビュー以来、世界50カ国を転戦。2014年にはカーレースの世界最高峰・WEC世界耐久選手権の表彰台に女性として初めて上り、ルマンシリーズでは総合優勝。ドライバーズランキングで女性として世界最高位を獲得した。慶應義塾大学特任准教授、FIA国際自動車連盟アジア代表委員、経済産業省産業構造審議会委員、三重県政策アドバイザーなどを歴任。

【編集協力・素材提供】
(株)webCG http://www.webcg.net/

[ガズ―編集部]