わたしの自動車史(後編) ~清水 草一~

18歳で免許を取り、姉のサニーを皮切りにガゼール、サンタナ、32型フェアレディZと、日産車で青春時代を燃焼させた私でしたが、読者さまはそんなことには興味ないでしょう。なので、すぐにフェラーリの話に飛ばせていただきます。

日産ガゼール

私がフェラーリに初めて触れたのは27歳、週刊プレイボーイ誌の編集者として、かの池沢早人師先生の担当者になって間もなくのことでした。池沢先生のテスタロッサに乗せていただき、脳天に雷が落ちたのです。「こんなものがこの世にあったのかぁ!」
一応幼少期にポルシェは体験(主に後席)していたわけですが、フェラーリのすさまじさはポルシェの数千倍レベルでした。それはつまり、「純芸術品として存在している」という点においてです。

フェラーリ・テスタロッサ

時は1989年。バブル真っ盛りでしたが、そんなこととはまったく無関係に、フェラーリは芸術でした。芸術なのでまったく役に立たない。速くもない。
そう、当時のフェラーリは速くなかったのです。でっかいエンジンを積んでいるので直線はそこそこ速いけど、曲がる・止まるの性能がメチャメチャ。ボディーもグニョグニョ。池沢先生も、愛車のテスタロッサについて、「富士スピードウェイを走ったらリアガラスが割れちゃったんだよ」とおっしゃってました。
そんな逸話も、私の心を打ちました。フェラーリは性能じゃない!そんな世俗とはまったく無縁なんだ!なぜならこれは芸術だから!そういう確信をかえって深めさせてくれたのです。

当時私が考えたのは、「フェラーリは目的を持たない神のようなクルマである」ということでした。どこかへお買い物に行くとかいった目的は、フェラーリにはない。ただただ人を感動させるためだけにあるのだと。
それまでの私は、当時のクルマ好き青年の典型で、スペックオタクでした。何馬力でゼロヨン何秒。それが何よりも重要でした。あと大事なのはカッコですかね。とにかくその程度でしたが、フェラーリはそんな昆虫のような次元にいる私にとって、はるか高高度を行く絶対神に思えました。

今になって思えば、当時のフェラーリの性能の低さが、あのフェラーリエンジンの発する恐るべき芸術的サウンドとビートとの対比で、逆に神話性を高く感じさせたのです。「こんなにすごそうなのに中身はダメダメ」というのは、ポルシェのようなまっとうなクルマからすると超ロクデナシ。そこに激しくひかれたと言えるでしょう。
当時はバブル期だったので、フェラーリを買うなど到底不可能でしたが、幸いバブルは崩壊し中古フェラーリの価格も暴落。自分の手に届くギリギリのところまで下がった1993年、私は348tbなる欠陥車を1163万2800円で購入しました。
348というクルマは、テスタロッサに輪をかけたダメグルマで、高速域では真っすぐすら走りませんでしたが、エンジンだけは芸術そのもの。それは私にとって、まさに「神の資質」だったのです。

フェラーリ348tb

あれから23年がたちました。その間私はフェラーリを9回買い替えて、現在10台目にあたる458イタリアに乗っています。
この23年間で、フェラーリはまるで変わりました。神の資質(?)は影を潜め、ほとんどUFOになってしまいました。しかしそれでも、本質は変わっていません。
フェラーリに乗っていると、「このまま死んでもいい」と思えるのです。いや、「このまま死にたい!」と強く願います。それほどまでに甘美な快楽があるのです。
時代は変わり、フェラーリも変わりました。周囲のフェラーリを見る目も大幅に冷めました。東京では振り返る人もまれです。
しかしそれは、フェラーリの本質とは無関係な、日本という社会の変容です。フェラーリは、少なくとも458までは、その甘美な本質を変えていません。まあフェラーリ・フォーとかそういうモデルはまた別ですけど!

フェラーリ458イタリアと著者。
清水 草一(プロフィール)
1962年東京生まれ。慶応義塾大学卒業後、集英社で漫画家の池沢さとし氏の担当編集者を務めつつ、ミラージュカップなどのモータースポーツに参戦。モータージャーナリストに転身してからは、フェラーリの魅力を世に広める活動に取り組んでいる。また『首都高速はなぜ渋滞するのか!?』をはじめとする著作を通し、交通ジャーナリストとしても活動している。

【編集協力・素材提供】
(株)webCG http://www.webcg.net/

[ガズ―編集部]