地の果てまで駆ける巡洋艦――トヨタ・ランドクルーザー (1954年)

よくわかる自動車歴史館 第112話

警察予備隊車両のプロトタイプとして誕生

2014年、トヨタはランドクルーザー“70”シリーズの復活を発表した。1984年の発売から30年を迎えたのを記念して、期間限定発売するというのだ。日本では2004年に販売が終了していたが、高い悪路走破性と耐久性の評価は高く、基本設計を変えないまま海外で販売が続けられていた。日本では“ナナマル”の愛称で親しまれ、復活を待望していたファンは多い。発売後わずか1カ月で約3600台もの受注を集めた。

東京・台場のメガウェブで開催された発表会にて、コンテナからさっそうと登場するトヨタ・ランドクルーザー“70シリーズ”。写真のバンと、ピックアップトラックの2車種が販売された。

30年前のモデルではあるが、時を経る中で改良を行い、信頼性を高めてきた。延べ約180の国と地域で販売され、中近東やアフリカ、オーストラリアなどでは不動の人気を得ている。2013年の販売台数は7万6287台に達した。都会を離れて砂漠や山岳地に近づくにつれ、ランドクルーザーの存在感は高まっていく。過酷な環境になればなるほど、ランドクルーザーの価値がはっきりと見えてくるのだ。

ランドクルーザーの歴史は、1951年にさかのぼる。前年に朝鮮戦争がぼっ発し、アメリカは日本の治安維持に兵力を割く余裕がなくなった。GHQは日本に対して警察予備隊を組織するよう要請する。発足にあたっては、活動用の装備を調えねばならない。移動や輸送のために四輪駆動車が必要で、トヨタ、日産、三菱の3社にプロトタイプを作るように求めた。

日本の自動車産業は戦争の痛手から立ち直る途上にあった。採用されて大量の受注が約束されることは、経営の安定につながる。トヨタは1947年に発売していたSB型トラックをベースに、わずか5カ月で試作車を完成させる。搭載されたエンジンは、戦前型のB型を改良したものだった。当初はトヨタ・ジープという名が付けられた。アメリカの軍用車ジープは、四輪駆動オフロード車の代名詞となっていたからである。

アメリカ軍で1941年に制式採用されたジープ。第2次大戦が終了するまでに、ウィリスが約36万台、フォードが約27万台生産した。

3社のプロトタイプは性能面ではきっ抗していたが、交換部品の納入で有利な三菱ジープが警察予備隊車両として採用された。三菱はジープの商標権を持つウィリス社とライセンス契約を結んだため、トヨタはジープの名称を使うことができなくなる。代わって付けられた名前がBJ型である。B型エンジンとジープの頭文字を組み合わせた名称だった。

1951年に登場したトヨタBJ型。1953年に国家地方警察に採用され、量産が始められた。

ランドローバーに対抗して付けられた名称

B型は4トントラック用に開発されたエンジンで、3.4リッターという大排気量の直列6気筒OHVエンジンである。BJ型には82馬力のハイチューン版が採用されていた。2.2リッター、60馬力の本家ウィリス・ジープを大幅に上回るスペックである。イギリスのローバー社が1948年に発売したランドローバーは1.6リッター、51馬力にすぎない。BJ型は走行試験で富士山に挑み、急坂を登って6合目まで到達するという快挙を達成した。

トヨタ・ランドクルーザー“70シリーズ”の発表会場に展示されていた、トヨタBJ型。

大排気量エンジンのメリットで、トランスファーにローレンジを設定する必要はなかった。極端に低い1速ギアを持つ4段マニュアルトランスミッションが採用され、最高速度は100km/hに達した。シャシーはSB型トラックのラダーフレームに3本のクロスメンバーを加えて強化したもので、前後ともにリーフリジッド式サスペンションを用いていた。悪路走破性と耐久性を確保し、メンテナンス性に優れる簡素な仕組みである。

警察予備隊への納入は実現しなかったが、BJ型は国家地方警察や林野庁などの官公庁に採用された。ピックアップトラックや消防車などの要望にも対応し、さまざまなボディータイプのモデルが生産されている。政府と契約しなかったことで、自由な発想で開発を進めることができた。BJ型が販売されたのは官公庁や電力会社などだけだったが、一般向けの用途も視野に入っていた。

トヨタBJ型のリアビュー。参考とした「ジープ」の面影を感じさせるスタイリングと、板に計器類を備え付けただけのシンプルなダッシュボードがよく分かる。

ただ、一般ユーザーに売る際に、単にBJ型と呼ぶのではあまりにも愛想がない。名称について出色のアイデアを提供したのが、当時技術部長の職にあった梅原半三だった。ライバルと目されたランドローバーに対抗する名前を考えようというのだ。Land Roverは直訳すれば「陸の放浪者」だが、梅原はこれを「山賊」と解釈した。山賊に負けないものとして考案されたのがLand Cruiser、「陸の巡洋艦」である。

ややこじつけ気味ではあったが、1954年からBJ型の正式名称はランドクルーザーになった。覚えやすく語呂のいい名前は評判がよく、短縮形のランクルの名が浸透するようになる。

洗練を身につけても思想は変わらない

1955年、ランドクルーザーは20系と呼ばれるモデルに進化する。短くなったホイールベースによって旋回性能が向上し、スタイリングも丸みを帯びたものに変更された。フロントグリルはクロームメッキの横バー3本になり、ヘッドランプはボディー埋め込みタイプになった。作業車の面影が強かったBJ型に比べ、はるかに洗練されたデザインである。

1955年に登場した20系ランドクルーザー。乗用ユースを想定し、より洗練されたスタイリングとなった。

ホイールベースの短縮は乗り心地には悪条件となるが、快適性はむしろ20系のほうが上である。BJ型がフロント9枚リア10枚だったリーフスプリングをそれぞれ4枚にし、スパンの長いパーツを用いることでネガを上回るメリットを得たのだ。エンジンの搭載位置を前に120mm動かすことによって、室内長は200mm拡大されている。オプションでクーラーも設定され、一般ユーザーにとっても魅力的なモデルとなった。

エンジンは初代のB型に加え、3.9リッターのF型も用意された。B型エンジン搭載モデルはBJ型、F型エンジン搭載モデルはFJ型と呼ばれる。F型エンジンはB型をベースにボアを拡大したもので、ピストンを軽合金にするなどの改良が加えられていた。出力は105馬力で、走行性能はさらに向上した。1956年になるとB型は製造中止となり、エンジンはF型に統一される。

1961年製FJ-25型ランドクルーザーに搭載されていたF型エンジン。F型エンジンはB型をベースに排気量を拡大したもので、20系では105馬力、40系では125馬力の最高出力を発生した。

20系が登場した1955年には、トヨタから初の本格的国産乗用車クラウンがデビューしている。国内での好評を受けて、トヨタはクラウンの対米輸出を試みる。しかし、アメリカのハイウェイで高速走行するにはまだ性能が足りておらず、早々に撤退することになった。アメリカで受け入れられたのは、ランドクルーザーである。1965年にコロナの輸出が始まるまで、トヨタの海外向け主力車種はランドクルーザーだった。

ランドクルーザーはアメリカ以外にも進出する。ペルー、ベネズエラ、マレーシア、クウェートなどに輸出が始まり、ディーラー網が広げられていった。トヨタの海外進出の基盤は、ランドクルーザーによって整備されていったのである。1950年代の後半には、ランドクルーザーは壊れないという名声が世界中に広まっていた。1960年には40系が登場。品質が向上し、大量生産の体制が確立された。40系はロングセラーとなり、70系が登場する1984年まで生産されることになる。

1950~1960年代にかけて、ランドクルーザーはトヨタの世界進出の先鋒(せんぽう)を担うモデルとして活躍した。写真は1960年にアメリカに導入された40系ランドクルーザー。

長い販売期間の中で、市場も変化していった。北米ではレクリエーション需要が拡大し、より快適なモデルが求められるようになる。トヨタは40系から派生した55型のステーションワゴンを1967年に投入し、新たな路線を切り開いた。1980年にはさらにラグジュアリー性を高めた60系が登場する。以後、80系、100系、200系へとつながっていくモデル群だ。

2700mmのホイールベースを持つシャシーに、ステーションワゴンタイプのボディーを組み合わせた55型ランドクルーザー。日本国内ではバン(商用車)として設定されたが、海外向けでは乗用車として販売された。

誕生から60年以上の歴史を経て、ランドクルーザーは洗練を身につけていった。リーフリジッドからコイル式の四輪独立懸架となり、快適性は乗用車と変わらないレベルになった。先進テクノロジーを満載し、環境性能も向上している。充実した豪華装備が与えられ、最新モデルはプレミアムSUVのジャンルに属している。

大きな変化だが、変わらないものがある。「命と荷物を乗せて出かけ、安全に戻ってくる」という思想だ。揺るぎない信念が保たれている限り、ランドクルーザーは地の果てまで駆ける巡洋艦であり続ける。

最新モデルの200系ランドクルーザー。いまだに生産され続ける70系や、ランドクルーザー プラドとともに、世界中で活躍している。

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ウィリス・ジープ

ジープ誕生には、ランドクルーザーと同様のいきさつがあった。1940年にアメリカ陸軍が重機関銃を搭載可能な四輪駆動車の開発を自動車メーカーに要請したことから生まれたモデルである。アメリカン・バンタムがプロトタイプを作り、ウィリス・オーバーランドとフォードが生産を担当した。

軽量で機動性が高く、第2次世界大戦では兵士の移動や作戦遂行に欠かせない重要な軍用車だった。戦後の日本に進駐軍が持ち込み、子供たちは戦勝国アメリカの象徴として憧れの目で眺めた。

日本でライセンス生産を行った三菱自動車は、四輪駆動車のノウハウを吸収して独自モデルを開発する。1982年にパジェロが登場し、1991年に2代目となるとSUVブームの立役者となった。

ウィリスは1953年にカイザーに買収され、その後さらに買収や再編を経てジープブランドはクライスラーに移った。今日のジープには、本格オフロード車のラングラーから高級SUVのグランドチェロキーまで、多くのモデルがラインナップされている。

ウィリス・オーバーランドが1945年にリリースしたジープ・ウィリスCJ-2A。ウィリスは戦後も民間用のモデルとしてジープを製造。今日に続くジープブランドの基を築いた。型式に用いられた「CJ」の2文字は「Civilian Jeep」の意。

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ランドローバー

1948年にローバーがP3をベースに作ったオフロード車がランドローバーである。イギリス陸軍の特殊空挺(くうてい)部隊に採用され、砂漠での作戦行動などで軍用車として活躍した。

ランドローバーはローバーにおけるオフロード車の部門名となり、ローバー本体とは切り離される。イギリス自動車メーカーの再編に伴い、ブランドの所有者は何度も変わっている。

1994年にBMW傘下に入り、2000年にフォードに移ってPAGグループの一員となる。世界金融危機でフォードの財政が悪化すると、2008年に売却されてインドのタタ・モーターズのもとでジャガー・ランドローバーの一部門となった。

ブランドの独立性は保たれていて、レンジローバーは今日も高級SUVのジャンルでトップモデルのひとつであり続けている。2011年に登場したレンジローバー イヴォークは、クーペとSUVの融合というコンセプトで新しいトレンドを作った。

ランドローバー・シリーズI。米ジープにならい、英国のローバーが開発した軍用のオフロード車だった。

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トヨタ・ランドクルーザー プラド

走破性能や耐久性を追及した70系ランドクルーザーには、より乗用ユースを考慮したライトデューティーのワゴンも用意されていた。乗り心地を重視し、前後ともコイル式リジッドサスペンションを備えたモデルである。フロントグリルやフェンダーを独自のデザインにして、差別化を図っていた。

1990年に70系が大がかりなマイナーチェンジを受けたのを機に、ワゴンモデルはランドクルーザー プラドとして独立する。走破性や堅牢(けんろう)性を保ちながらも充実したユーティリティーと快適な乗り心地を備えたプラドは、ファミリー層から支持を集めた。

1996年に90系になると、初めてフロントサスペンションにダブルウイッシュボーン式独立懸架を採用し、さらに乗用車的な快適さを手に入れる。駆動方式はフルタイム4WDとなり、扱いやすさも向上した。

2010年に日本に導入されたFJクルーザーは、プラドをベースにして40系をイメージしたボディーを与えたモデルである。先進のメカニズムを備えながらランドクルーザーの伝統を想起させるレトロモダンなデザインが人気となった。

1984年に登場し、1990年のマイナーチェンジとともに今日と同じ名称となったトヨタ・ランドクルーザー プラド。1996年からは主要コンポーネンツをハイラックスサーフ(4ランナー)と共有する“兄弟モデル”となった。

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[ガズ―編集部]