わたしの自動車史(前編) ―飯田 裕子―

ある時点までは、私もごく普通の女の子だった。“ごく普通”というのは、クルマにはあまり興味がなかったという点で。この仕事をするようになった今ではよく、「お父さまの影響ですか?」と質問されることがあるけれど、そうとも言えるし、そうでないとも言える。ただ子どもの頃、田舎暮らしをしていた私たち家族5人にとってクルマは切っても切れない密接な関係にあったことは事実で、そのなかの思い出や刷り込みが今の私に少なからず影響を与えているのは間違いなさそう。20年以上前に父が他界するまで、家にはたまにメルセデスやジープもいた記憶はあるけれど、クラウンとハイエースだけは常にあった。

著者が子どもの頃に家にあった4代目トヨタ・クラウン セダン。“クジラ”のあだ名で親しまれた。

東京の多摩地区で生まれた私は、3歳になる前に神奈川県の自然豊かな津久井の小さな集落に越している。工場を建てる土地を求め、なおかつ子どもを自然豊かな場所で育てたいと考えた父の視界のなかに、その場所があったようだ。ただ自分が大人になってますます感じるのだけれど、父はかなり生活にこだわりを持つ人物だったと思う。決して裕福ではなかったはずなのだけれど(例えば、母がエビフライを作ると、われわれ3人の子供は「今日はいくつずつ?」と聞くようなつつましやかな生活)、しかし本当に今思えば、とても豊かに暮らしていたと思う。家には丈夫な(という理由で)アメリカ製の大型冷蔵庫や洗濯機に乾燥機やオーブンがあり、それに今以上に寒さが厳しかった当時の実家の屋内には温水を使ったパネルヒートシステムが配備されていた。ビデオカメラやデッキなども登場すると早速買ってくるような父だった。週末にはとにかく家族そろっていろんなところへ行ったという点では海や山や川、それに都会へも私たちを頻繁に連れ出してくれた。

商用としても乗用としても使える丈夫なワンボックスカーとして不動の人気を誇るトヨタ・ハイエース。父親の仕事の都合もあり、飯田家では歴代のハイエースを乗り継いできた。

例えば季節の良い時期には、仕事でも使っていたハイエースで近くの山の麓まで行って登山をしたり、夏にはそのハイエースに同級生を乗せ、それも何度かピストン輸送をして近所の沢に連れてってくれたりもしたので、友達からは大層重宝がられた(笑)。冬の時期のよりタフな足として三菱ジープも所有していたけれど、私にとっては真夏の土曜日の学校終わりに、父が私や弟を川遊びに連れて行ってくれたことが印象深い。ジープの後席で風に当たりながら、ラフロードやワインディングを走るクルマから自分が落ちやしないか不安になりながら揺られていた記憶しかない。

父ばかりではない。習い事に通う子どもたちを母はこまめに送迎してくれたし、高校時代、1時間に1本あるかないかのバスに乗り遅れれば、バスを追い越していくつか先のバス停まで送ってくれるなんてこともあった。

三菱が長きにわたり生産していたクロスカントリー車のジープ。写真は1998年式の最終生産記念車。

しかしこのエッセイを書くにあたり、あらためて最も気になるのはクラウンの存在だった。そこで父と一緒にいることが多かったすぐ下の弟(レーサーの飯田 章)と父の弟に取材をしてみると、やっぱり父のカーライフのほとんどにクラウンがあった。つまり私たち家族のお出掛けのほとんどはクラウンと一緒だったのだ。

どうやら父が結婚前に中古で購入したのがファースト・クラウンだったらしい。そして私が生まれた頃に3代目クラウンを新車で購入している。以来、父が亡くなるまで新車が出る度に父のクラウンもモデルチェンジしていたと叔父は言う。ただし一度家業が倒産しており、その頃はさすがのクラウン党の父もモデルチェンジはしていないはずだ。クラウンにディーゼルエンジン搭載モデルが登場すると、「田舎に住んでいるとたくさん距離を走るからディーゼルがいいんだ」と話していたことは私も覚えている。バンパーが黒くなって音や振動も大きく、新車に変わりそれらが幾分か改善されているとわかり父に「うれしい」と言ったことも……。果たして父は9代目までクラウンを所有していた。

1979年に登場した6代目トヨタ・クラウン。父は、このクルマのディーゼルモデルを所有していた。

なぜ父がクラウンにそこまでこだわったのか?あらためて叔父に聞いてみると、実は飯田の本家は今でも伊豆で温泉旅館を営んでおり、父や叔父が子どもの頃、頻繁に泊まられていたお客さまのなかにトヨペットの偉い方がいたらしい。父や叔父はそこで“トヨペット”とその方の人柄に好感を抱き、刷り込まれたらしい(笑)。父はクラウンが好きというより、トヨペットのクルマが好きだったと初めて知った。

飯田 裕子(プロフィール)
自動車雑誌での執筆はもちろん、テレビやラジオへの出演、シンポジウムでの討論など、幅広く活躍するモータージャーナリスト。かつては自動車メーカーに勤務していたが、弟でレーシングドライバーの、飯田 章と始めたレース活動をきっかけに、現職に転身。常に「人とクルマと生活」という視点に立ち、女性にもわかりやすいカーライフの紹介を心がけている。

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[ガズ―編集部]