『クルマは最高のトモダチ』奥深くてジェントルで。沢山の仲間に出会えたフェアレディZ…山田弘樹連載コラム

まだノーマルの面影が残る“バーニス”(バージョンnismoのこと)。なんとか大人っぽくモディファイしようと、ヨーロッパのレーシングカーみたいに、センターストライプを入れました。自慢はASMのカーボンボンネット!
まだノーマルの面影が残る“バーニス”(バージョンnismoのこと)。なんとか大人っぽくモディファイしようと、ヨーロッパのレーシングカーみたいに、センターストライプを入れました。自慢はASMのカーボンボンネット!

とうとう新型フェアレディZ(のプロトタイプ)が、発表されましたね!
初代S30を彷彿とさせるフロントマスクと、リアクォーターからのプロポーション。テール周りはZ32や180SXをイメージさせるうまい仕上げ。
ちょっとレトロ頼みな印象ですが、くすぐられる。ずるいよねぇ(笑)。

オリジナルデザインの復刻は機械式時計などでもよく見受けられる手法で、現代のトレンドをよく理解したもの。
安全基準でグラスエリアを広く取るのが難しいサイドビューなんかは、アストンマーチンやロータスのようにサイドステップで絞り込みを入れて、躍動感を出しています。Z33のときにこれやって欲しかったなぁ!

と盛り上がっておりますが、ワタクシ、元Z33バージョンnismoオーナーなのです。2007年にほぼ新車の中古車を手に入れて、5年ほど乗ってたんですよ。
当時フリーランスになりたてだったボクは、編集のキャリアから「Z MAGAZINE」(当時の三栄書房)というムックを作っていました。

そして「Zオーナーの気持ちを理解するなら、自分もZに乗らなきゃ!」と思い、清水の舞台から飛び降りた。
そう考えると清水の舞台って、人生で何回か飛んでますね。意外と無事に、着地できるものです(笑)。

出たばかりのバージョンnismoは、それはもうキラキラしてました。
市販車にしてマイナスリフトを生み出すバンパーとリアディフューザー。ハンドリングはピターッと吸い付くようで、パフォーマンスダンパーのマイルドな乗り味も素晴らしかった。

正直いうと、「フェアレディZの本を作らない?」と言われたとき、ボクは「えー、ゼットですかぁ?」と、乗り気じゃなかったんです。
まだまだ青二才だったボクは、もっと尖ったスポーツモデルが好きでした。

当時で言うと花形は当然GT-R。それは価格的に無理だとしても、ホンダ S2000には憧れていたし、マツダ RX-7(FD3S)にはいつかリベンジしたいと思っていました。
あとはランエボにインプレッサWRXなんて4WDターボ勢がチューニングカーの主流で、Zはあまり相手にされていなかったんですよね。

REV SPEEDでは塚本編集長のFD3Sと、いろんなサーキットでバトルしました。ライトチューンのFD3Sだと、Z33でも勝負になる。むしろほどよいパワーが扱いやすくて、「Zやるじゃん!」という評価が徐々に高まっていったんですよ。
REV SPEEDでは塚本編集長のFD3Sと、いろんなサーキットでバトルしました。ライトチューンのFD3Sだと、Z33でも勝負になる。むしろほどよいパワーが扱いやすくて、「Zやるじゃん!」という評価が徐々に高まっていったんですよ。

だがしかしッ!

バージョンnismoを手に入れたボクは、Zの奥深さを知りました。
その要は、Z33がNAエンジンを搭載したことだとわかった。
自然吸気の3.5リッターV6エンジンは、パワフルなのにとても扱いやすかった。ターボじゃないからこそ、インタークーラーとかタービン交換とか、高いお金をかけないでも済むし、頑丈!!
だから自然とサーキットにアシが向くようになった。パワーだけに頼らない走りの愉しさに、思いっきりハマッちゃったんですよね。

そして、当時nismoが開催したサーキットイベント「Z Master MEETING」に参加。そこでは、沢山の仲間と出会えました。

初めて「Z Master MEETING」が開催されたとき(の写真だと思う)。どれだけのZが集まってくれるのか、ものすごくドキドキしたのを覚えています。草レースは大きなクラッシュもなく、無事に終了。それだけでとっても嬉しかった!
初めて「Z Master MEETING」が開催されたとき(の写真だと思う)。どれだけのZが集まってくれるのか、ものすごくドキドキしたのを覚えています。草レースは大きなクラッシュもなく、無事に終了。それだけでとっても嬉しかった!

それまでボクは「VW GTI カップ」や「フォーミュラ・スズキ 隼」といったワンメイクレースに出ていたのですが、資金がなくなって参戦を断念。さらに会社を辞めて独立してしまったので「もうレースなんて、一生できないんだろうな」と諦めていたんです。

そこで出会った「Z Master MEETING」は、ジェントルマンレースの先駆けとなるコンセプトでした。
当時はまだ公認レースの敷居が、とても高かった。ロードスターのパーティーレースしか、クラブマンがマイペースで楽しめるカテゴリーはなかったんです。
「公認レース=勝つことが全て=ブツかってもOK」みたいなイメージを持つ人も、とても多かった。
本当は安全のための公認レースなんですけどね。

対してZ Master MEETINGは、Zオーナーのレース形式イベント。お互い大事なZで走るんだから、勝負を楽しみながらもジェントルに行こう! というコンセプトを掲げ、1回1回これを確認しながら、みんなで走行会を作り上げて行ったんです。

しかし最終的にnismoは、撤退してしまった。だからなんとかこのジェントルマン・コンセプトを受け継ぎたくて、ボクは元レーシングドライバーであり、現在は袖ヶ浦フォレストレースウェイの責任者である山梨順一さん(GTIカップの同期でもあります)と、ふたりで「Z Challenge」を作ったんです。

そしてこの“Zチャレ”は、オーナーの支持を得ました。最盛期はなんとエントリー台数が50台を超えて、2ヒート制にするほどだったんですよ。また「86/BRZ RACE」を立ち上げるとき、参加型レースのお手本とされたという話も聴きました。

そんなZチャレは今でも続いていますし、よりディープなチューニングが許される「Z Expert Trophy」とも共存していて、本当にうれしい限りです。

ではなんでZの草レースが定着したのかといえば、それはまずZが、タフ&シンプルなFRスポーツカーだったからでしょう。
前述の通りトルクで走らせるキャラクターだから、サーキットでもエンジンが消耗しにくかった。エンジンやデフにオイルクーラーを装備して、足まわりとブレーキをしっかりさせれば、長くレーシングライフを楽しめました。これはS2000の本気組や、ターボ勢には、とってもうらやましがられましたねぇ。
そして速さもあったので、周りも徐々に「Zって走れるじゃん!」と認めていった。

ふたつ目は、フェアレディZが「大人のスポーツカー」だったからだと思います。北米で育ったスポーツカーだからでしょうか、クルマ自体も「パワーやコーナリングを極める!」みたいなやり過ぎ感はなかったし、それを選ぶオーナーたちもみんな大人だった。いや、子供みたいな大人だったな(笑)。
それがフェアレディZの魅力なんだと、仲間を通して理解できました。

富士スピードウェイのライセンスを取得したのも、Z33に乗ったから。コツコツと通って、足まわりのセッティングを出していました。3.5リッターエンジンとラジアルタイヤ(POTENZA REー11の頃)の組み合わせで2分1秒が出たときは、嬉しかったなぁ!3.7リッターのときは1分57秒に入って、ホントに夢のようでした。
富士スピードウェイのライセンスを取得したのも、Z33に乗ったから。コツコツと通って、足まわりのセッティングを出していました。3.5リッターエンジンとラジアルタイヤ(POTENZA REー11の頃)の組み合わせで2分1秒が出たときは、嬉しかったなぁ!3.7リッターのときは1分57秒に入って、ホントに夢のようでした。

ちなみにボクはZキャリアの終盤に「HR35改3.7リッター」というエンジンを作ったのですが、これには苦い思い出があります。
超高回転型のエンジンになってパワーも出たし、サウンドなんかは脳みそがトロけちゃうくらいに最高!

でも強化コンロッドを組むお金を惜しんだことで、悲劇は起こりました。
袖ヶ浦FRWの最終コーナーへ向かって全開加速! “パーーーーーン!”とマフラーから弾ける狂喜のサウンド。うぉおおおお、気持ちいー!! と思ったと同時に、バックミラーには大量の白煙がッ! 虎の子のエンジンは、ブローしてしまったんです。

当時は同じバージョンnismoでも、3.8リッターエンジンを搭載する「380RS」が一番速かった。NISMOがスーパー耐久のリソースを使って作り上げたエンジンは速いだけでなく頑丈で、まさに憧れの存在だったけれど、手が届きませんでした。

だからこそ、380RSには負けたくなかったんですよねぇ。コーナーで追いついても、立ち上がり加速で逃げられる。その勝負に勝ちたくて、エンジンチューニングをしたのですが。

このブローがきっかけで、ボクはZを降りてしまった。若かったんだなぁ……。
今も当時の仲間たちがZに乗り続けているのを見ると、もっとゆっくり楽しめばよかったかな? と、“バーニス”(バージョンnismo)のことをほろ苦く思い出します。

さてそんなフェアレディZ、次期型はツインターボ&MTの組み合わせがラインナップされるようですが、同じようにそのほがらかさを受け継いでいるのか? はたまた打倒ポルシェ・ケイマンを掲げ、運動性能を磨き上げてくるのか?

何はともあれトヨタ・スープラと共に、国内のスポーツカーシーンを高めあってくれればうれしいです。

(テキスト:山田弘樹 写真 協力:REV SPEED 撮影:田村 弥)

自動車雑誌の編集に携わり、2007年よりフリーランスに転身。LOTUS CUPや、スーパー耐久にもスポット参戦するなど、走れるモータージャーナリスト。自称「プロのクルマ好き」として、普段の原稿で書けない本音を綴るコラム。


[ガズー編集部]

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