大きな旗を掲げる ~レクサスIS-Fへの道~ [レクサスIS-F 矢口幸彦チーフエンジニア](1/2)

デトロイトモーターショー・ジュネーブモーターショーに出展され、 世界中の注目を集めているレクサスIS-F。
そのクルマを生み出したのは、どのような人物なのか。
もちろんクルマは一人の力だけで創ることはできないが、 レクサスIS-Fという、ある意味、特別なクルマが生まれるまでの行程には、 そのカギを握った、特別な人物がいるはずだ。
そう考えたGazoo.com編集部が向かったのは、トヨタ自動車商品開発本部レクサスセンター。
そこで紹介されたのは、レクサス全体のブランド戦略、商品戦略を立案する重責を担いながら、 今回、自らIS-Fの製品企画を担当した矢口幸彦チーフエンジニアだった。 果たして矢口は、IS-Fにかける熱い思いを、強烈なプレゼンテーションによって実現へと結びつけた人物。 矢口の語る、“レクサスIS-Fへの道”をご紹介しよう。

【プロフィール】
1955年、トヨタ・クラウン誕生と同年の生まれ。
1977年、トヨタ自動車工業に入社。
クラウン、初代、2代目セルシオ(LS400)の振動騒音開発を担当した後、 チェイサーツアラー系、プログレ等の車両性能開発のまとめを担当 レクサスブランド戦略、レクサスセンターの立ち上げに参加。
レクサスセンターでコンセプトプランナーとしてIS-Fを提案。
現在、自ら提案したIS-Fの開発のまとめを行なう。
長年、足回りを固めたクルマに慣れてしまった家族は、 よそのクルマに乗ると、ふわふわに感じて酔ってしまうとのこと。

レビン/トレノに惹かれてトヨタへ。

子どもの頃からクルマが好きでした。 大学生の頃には、大学の研究室に勝手に自分の軽自動車を持ち込んで、 エンジンをばらしたり組み上げたりしていましたね。先生は呆れてましたよ(笑)。 就職では当然、どこかの自動車メーカーに入りたいと思っていたわけですが、 はじめからトヨタ志望ではありませんでした。当時、クルマ好きにアピールする、 いわゆる“おもしろいクルマ”は、トヨタよりむしろ他のメーカーに多かったからです。
それが変わってきたのは、私が高校生の頃、レビン/トレノが出た頃からかな。 トヨタが、クルマ好きを夢中にさせるクルマを次々と出すようになった。 ここならおもしろいクルマが創れそうだと思って、トヨタ一本槍で受験したんです。
ちょうど石油ショック直後で、社員採用数が少なく難関と言われていたのですが、 たまたま自分がクラウンの発売と同じ1955年生まれだったので、 面接では「自分と同い年のクラウンを、もっと良いクルマにしたい」なんてアピールしました。 それが効いたのかどうか分かりませんが、運良くトヨタに入社して開発の仕事に就くことができました。

  • 初代TE27型カローラレビン。このクルマが“IS-Fへの道”の入り口となった。