”胸を張れる”という価値。 [2代目アルファード/ヴェルファイア 中越裕三チーフエンジニア](1/2)

初代アルファードは、大きな成功を収めたクルマだ。
大型高級ミニバンの分野で、先行していたライバル車との形勢を一気に逆転。
市場を席巻するともに、新しいスタンダードを築いて見せた。
5月12日に発表された2代目、新型アルファードでは、その価値がさらに高まっているという。
いったいどんなクルマなのか?
そして、そこに込められた開発者の想いとは?
そうした話を聞くべく、私たち編集部は、トヨタ本社テクニカルセンターに、中越裕三チーフエンジニアを訪ねた。

“いい加減な学生”がトヨタへ。

中越裕三
中越裕三
愛知県生まれ。
大学では機械工学を専攻。
1975年入社。
強度実験課に配属となり、
トヨタテクニカルセンターUSA (TTC-USA) 駐在を経て、製品企画へ。
Isis (アイシス) で初めての開発主査を経験し、アルファードとヴェルファイアのチーフエンジニアに。
プライベートでは、かつてはオープンのスポーツカーに乗りついでいた。 最近は、自宅用のダイハツ製軽自動車の出来の良さに感心しているという。

私は、トヨタに就職するまで、自動車業界だけを志望していたわけではなかったんです。 親父が中日新聞で記者をしていて、そうした仕事にも興味を持っていたので、マスコミを受けてみたりもしました。いい加減でしょう?(笑)。
トヨタには、推薦ではなく、大学の掲示板を見て受験しました。 トヨタはオープンな会社で、私のような学生にも門戸を開いてちゃんと話を聞いてくれた。 だから、私にも入ることができたんですね。
大学では機械工学を専攻していましたが、熱心な学生ではありませんでした。 スキーにばかり行っていた記憶があります。 私は何かに興味関心を持つと、熱中して短期間である程度まで上手くなるのが得意で、学生の時は、その対象がスキーだったわけですね。
考えてみれば、子どもの頃からそうでした。 男の子ですから、クルマや船、飛行機などの模型に興味を持つわけですが、丁寧に作るのではなく、 ささっと作って、どんどん動かして遊んで壊してしまう(笑)。そんなタイプでしたよ。

中越裕三
中越裕三
愛知県生まれ。
大学では機械工学を専攻。
1975年入社。
強度実験課に配属となり、
トヨタテクニカルセンターUSA (TTC-USA) 駐在を経て、製品企画へ。
Isis (アイシス) で初めての開発主査を経験し、アルファードとヴェルファイアのチーフエンジニアに。
プライベートでは、かつてはオープンのスポーツカーに乗りついでいた。 最近は、自宅用のダイハツ製軽自動車の出来の良さに感心しているという。

アメリカ駐在で仕事のおもしろさを知った。

入社して配属されたのが、当時の強度実験課という部署。今だから言えますが、初めの頃は、やる気のない社員でした(笑)。 実験課での研究は、じっくりと時間をかけて、一つひとつ積み重ねていくタイプの仕事です。 それまでの自分は、先ほど話したように、いかに短期間に大ざっぱにモノにするか、というタイプでしたから、はっきり言って向いてなかったんですね(笑)。 それでも、それまでの自分に欠けていた、順序立てて仕事に取り組む姿勢を教わりました。仕事をしていく上での基礎を身につけることができたと思います。
入社して10年ほどたって、当時ロサンゼルスにあったトヨタテクニカルセンターUSA (TTC-USA) へ駐在しました。 一度は海外で仕事をしてみたいという希望を持っていたので、喜んで行きましたよ。1985年から3年間でしたが、私にとって大きなターニングポイントになったと思います。 担当業務はちょっと変わっていて、自分でテーマを見つけて調査研究するというもの。それが性に合っていたのか、積極的にさまざまな調査に取り組みましたね。
帰国後の1989年、製品企画の部門へ異動。初めて携わったのが、RAV4の開発でした。 小型の都会的なクロスカントリー車という、それまで存在しなかったジャンルのクルマです。 それだけに、社内でもいろいろな意見があり、プロジェクトは何度も立ち消えそうになりました。 それを乗り越え、なんとか発売にこぎ着けたら、大ヒット。 RAV4の開発を通して、新しい価値を持ったクルマを提案することの喜びを知りました。