【GAZOO車クイズ Q.79】1961年に発売された「トヨタ・パブリカ」の開発に影響を与えた政策とは?

1961年に発売された「トヨタ・パブリカ」の開発に影響を与えた政策とは?

A国産車発展計画

B自動車振興政策

C国民車構想

D大衆車戦略

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C国民車構想

1961年に発売された初代「トヨタ・パブリカ」は、安価で高性能な小型自動車の先駆けとなったモデル。「スターレット」や「ヴィッツ」のご先祖さまにあたります。

初期型は697ccの空冷水平対向2気筒OHVのU型エンジン、マイナーチェンジ後の後期型は800ccの2U-C型エンジンを搭載。小さなボディーに小さなエンジンを組み合わせたミニマムな構成でしたが、大人4人を乗せて軽快に走りました。

このクルマの開発に影響を与えたのが、“国民車構想”です。トヨタが小型大衆車の開発に取り組んでいた1955年、当時の通商産業省が国民車の規格設定を進めていることが明らかになりました。想定されていた条件は、最高時速100km/h以上、30km/リッターの燃費、25万円以下の価格などです。

要求水準が高過ぎてこの条件をクリアするのは不可能でしたが、トヨタは小型車の開発を継続しました。1960年の東京モーターショーに試作車を展示。車名は公募とし、“パブリックカー”の意味を持つパブリカが選定されました。

※運転免許を持っていなかった高校生の時にトヨタ・パブリカを購入したオーナーと出会いました。詳しくはこちら。

【愛車紹介】《16歳から共に苦境を乗り越えてきたパブリカ・デラックス(UP20)》
https://gazoo.com/ilovecars/introduce-s/200513.html

[ガズー編集部]

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